今日はエイプリルフールで
その本当の意味は深い。
だから少し楽しみにしてた。
昨日は特に変な日で、
ネガティブもたくさん上がっていたものの、
データを見ていたので
少し根性を入れないととすごした。
でも一方で、自分が肉体にいる
すごい気持ちよさがあった。
そして朝起きると
肉体が本当の居場所という感じで
物理的にも精神的にも
さらにもっと気持ちよくなってた。
もっと感じてたい
それ以外したくないと思うほどだった。
肉体がこんなにいいものだなどと
今まで感じたことはなく、
かといって肉体に縛られているのでもなく、
肉体と自分が別々でなく一緒に
昨日とはちょっと違った同レベルにちゃんといるような感じがした。
これをグラウンディングというのかと思った。
そして今日のダウンロードは.....
すごいな。
こんなこと思いついたことがないし、
こんなの誰が計画できる?!
と思うような内容だった。
ここは、歪められて、隠されて、
改ざんされてきてたけれど、
逆の、そのまた逆が真実だった。
逆の逆になったら元に戻ると
思うかもしれないけれど、
そうではなく、またぜんぜん別の逆だ。
言えるのは、
そういうことだったなんて......
という、とんでもない愛があるということ。
そしてちゃんと説明できるほど
すごく論理的で、理にかなってもいる。
受け入れられるかどうかは別として、
説明されたら誰だってわかることが
できるんじゃないかと思う。
愛自体を説明することはできないけれど、
愛の存在がどんな風に設計したかなら
説明もできるし理解もできるから。
そしてそこから、
どれほどの愛かを知ることができると思う。
現在は、陰謀論は「論」が外れて
陰謀だと明らかになりつつあり、
これまでも、今も、ひどいことはあるけれど、
それらを知った上でそれがどんな役割なのかに
気づくことは、本当に大きなことだと思う。
今日の日記は詳しく書くのを控え、
抽象的にしか書けないけれど
今日の記念としては十分のように思う。
でもそう、二元性の話があった。
ここ最近
二元性への実際の対応の仕方が見直され、
ずっと取り組んできた。
ネガティブ、ポジティブ、ニュートラル
というこれまでの対応の仕方から
シフトしなきゃいけなかった。
ネガティブが出てきたとか、
それがポジティブ、
つまりいい気分に変わってくれたとか、
そういうのを
もう卒業しなければならなかったようで、
「二元性は存在しない」
に立つ練習をしなきゃならなかった。
はじめはどうやるのか
どういうことなのか分からなかったけれど、
日に日に開示されて、
それらが分かっていった。
まだその最中でもある。
はじめは、中途半端なズレたままが
心地悪く、難しくて仕方なかったけれど、
それが普通になったりそうしていられない限り、
二元の方に合ってしまっているのを
離せないと思った。
これは、あるトレーニングをしている最中に、
やっと、肉体の中にいながら肉体とは関係なく
自由に動いてる自分がいる状態になれて、
その時に体験したため分かる。
その時は
「ウソ!まじか!」と思った。
手を大きく動かしても肉体は一つも動かないし
本当に奇妙だったし面白かった。
その時
「これが本当の自分なのか」と思った。
だから感覚として、ある程度
「離れる」というゴールが分かっていて、
離せないとダメと分かる。
善と悪、いい調子と悪い調子、
うまく行ったとうまく行ってない
など、その二元性を捨てるのではなくて、
言い方が難しい...
二元はないというのは
二元は一元だという方が近いように思う。
この内容は、今日理解したこととリンクする。
二元性をそう見る練習があったから
今日の理解があるのは間違いないと思う。
そして、それだもの、
「肉体は幻想だから手放す」
というのをやっていたら
これはできなかっただろうと思う。
それに、肉体を受け入れられない
信念や教えやブロックもあったと思う。
だからグラウンディングもできない。
今となれば、
肉体は確かにホログラムだけれど、
肉体にしっかりグラウンディングできることは
本当に重要だと思う。
だから肉体のスピリチュアル化というのを
何度でも言いたくなる。
今年はヘビ年というのもあるのだから
なおさらそう思う。
ヘビ年の本当の意味もさらに明らかになり
より強く、そうだゴーゴーと言われている気持ちでいる。
明らかになったヘビのさらなる意味は、
物理的現実の中でもビジョンの中でも
サイキックが体験し見ているもの
実際に起こっていること
みんなが体験していることの中で
ピッタリ一致したため、間違いないと思っている。
アダムとイブの話にまで遡り
ずっと取り組んできた。
そこからも、どう見ても、
具現化・現実化しないスピリチュアリティは
今年は求められてないと思う。
そして、今日分かったことも
とても精神的であり物理的だ。
精神的であり物理的でもあるのだから
これまでとは違った進み方で進む
とんでもない年になると思う。
ある人とっては良い意味でとんでもなく
ある人にとっては逆の意味でとんでもないのかもしれない。
