『キリストのヨーガ』より

 

★それは君が何か結果を求めている

からだよ。

 

 

★真理について考えることをやめることによってのみ、わたしは真理を経験することができるのだった。

 

 

★なぜ君は一心集中の対象として中心となる観念を選ぶのか。

 

何らかの結果(おかげ)が得られる気がするからではないか。

 

だからこそ、君はそれについて考え続けるのだ。

君は結果を求めている。

しかし、真理は結果ではない。

 

 

一心集中は心を狭めることであって、心を解放する唯一の手段である開示の過程ではない。

 

それは単に自我孤立化の過程であって、

孤立は自我擁護でしかない。

 

 

静まるように強制されると、

依然として闘いの中にあり続ける。

 

★さて、自分自身を知るためには、あらゆる瞬間ごとに、強制することなく、駄目だと決めつけることなく、あるいはまた、正当化することなく、絶えず(自分の心の状態に)気づいていなければならない。

 

ものごとをあるがままに見る一種の受け身の警戒状態にあらねばならない。

 

そうすれば、問題はなくなる。

すなわち、問題が存在しなくなったのである。

なぜならば、君自身 ― すなわち心 ―が問題なのだからだ。

実在には、いかなる問題もない。

 

 

 

昨日から『キリストのヨーガ』がまた気になって引っ張り出した。

 

大好きなところ。

 

人の口から聞くように思い出せる。

 

こんな思い手放せないと思っていても

手放したくないんだ

聖霊と見たくないんだ

結果じゃないんだ

に変えられる。

 

ただ見りゃあいいんだ。

 

ここでの目的は

幻想Aを幻想Bにすることじゃない。

 

酔っぱらいのたわごとを聞かないことだ。