今日「無いんだよ」と書いてからずっと、
誰が何をしていても何を言っていても、
その人が「無いんだよ」と言っているように聞こえる。
まるで
私が今言っていることは無いんだよ。私はあり得ないこと話してます。
私が今しているの見てる?これも無いんだよ。
と、まるで「無いんだよ」という名札&コダマをつけてるみたい。
それはとても優しい声で、
いや声じゃなくて優しく頭に響く?胸に響く?よくわからないけれど、とても優しくそう言っている。
今日はそれで充分なんて思った。
充分すぎるほどだった🙏
でも実はもう一段あった。
全部逆だと、前よりももっとわかることができた。
誰も私を当てにしていないように感じたり、要するに孤独感を感じていたけれど逆だった。
どういう逆か、あまりよくわかっていなかったんだと思う。しっかり悲しんでいたから。
それはこういうことだ。
肉体が近くにいたり、私に言葉をかけるから安心するのは違う。
私を当てにしなかったり、ふと気づいた時に私の近くに肉体が一つもいなかったりして悲しんでる。
でも肉体が近くにいるからってどうだっていうんだ?
話しかけられないからってなんだっていうんだ?
在るものが在るのに。
そんなの嘘っぱちの形で、その形式だけでは幸せでもなく、そんな形式いらないよ。
肉体はいらないよ。
ということだった。
もう肉体どうしの、人間どうしの関わり方なんていらないよ。
それも「無いんだよ」を見て悲しんでいただけだったんだ。
「無いんだよ」を見せていてくれただけだった。
それなら全員でよってたかって、私にそれを演じてくれていたわけだし、演じてくれていたのはその人とかじゃなくて全員Jesusだったじゃん!
Jesus以外に誰も最初からいないんじゃん!
そういうことだったのかとうっとりしていたら、なんてことか!
家族のみんながしれっと集まってきて私の周りに座ってきた。

