私のお産 第1子編  | 赤ちゃんの通訳・おかあさんの応援団長 助産師 長沼知子

赤ちゃんの通訳・おかあさんの応援団長 助産師 長沼知子

現役の助産師。
不妊や流産を経験し、その後3人を産み育てています。
現在は、赤ちゃん訪問・母乳育児相談をしています。
話すと、スッキリしましたと言われます。
いつも頑張って育児しているおかあさん達の味方です!

私の3度のお産を皆さんにシェアしていきたいと思います。


流産の経験談はこちら



流産から約1年後に幸いに妊娠しました。


それまでは、体づくりに専念した気がします。鍼灸や運動などなど。


妊娠したことはとても嬉しかったのですが、流産経験した後だったので、手放しには喜べませんでした。


今回は大丈夫なのか…と。


頚管無力症が原因とのことで、今回は妊娠4カ月に頚管を縛る手術を受けることになりました。


お腹が張らないように、あまり動かなかった気がします。


重いものは持たない、お風呂は夫に洗ってもらう。


主人の協力は大きかった…。


毎日毎日、お腹をさすって無事を祈る毎日でした。


そして、シロッカー術(頚管を縛る手術)を受けるのに、入院しました。


入院の部屋は、6人部屋でした。


切迫早産の方や双子の管理入院の方など、あとは帝王切開を受ける方もいました。


私はお腹は目立たない早い時期だったので、同室のお腹が大きい妊婦さんが非常に羨ましく思いました。


カーテン1枚のみの仕切りなので、お産経験談に花が咲くこともしょっちゅうで。


悲しくて悲しくて独りシクシク泣いていたこともありました。


それだけ不安で仕方ありませんでした。


手術は無事に終え、大事に大事に過ごすことのみに専念しました。


その後の検診でも特に異常はなく、妊娠10カ月を迎えました。


妊娠10カ月、ちょうど36週になった日に、頚管を縛っていた糸を抜糸することになりました。



外来の内診台でトライしても、よく見えなくて抜糸出来ないため、急遽入院しました。


手術室で、下半身麻酔をしての抜糸をすることになりました。


待機したのは、陣痛室…。


となりでは、陣痛に苦しむ声が聞こえてきます。


いざ、手術室へ。


先生は「すぐ終わると思うよ。」とのこと。


しかし、先生、悪戦苦闘してます。


「あれ?」とか「あっ。」とか言ってますけど…。


出血が多いらしく、私は気持ちが悪くなりました。


先生に「縛っている糸がどうやら食い込んでしまって、見えにくいので、頚管を引っ張ったら、切れて出血してしまい、よけいに糸が見えなくなってしまったので、一旦止血して、お部屋に帰って様子見ましょう。」と言われました。


しかし、部屋に帰ってから、お腹が痛くなってきて、そのことを看護師さんか助産師さんに告げると、モニターをお腹に巻いたら、心音が下がっているではありませんか。

すぐに、分娩室に運ばれて、処置を受けながら、先生から説明があり、


「お腹が張って、赤ちゃんが危険な状態なので、帝王切開で赤ちゃんをすぐに出しましょう。」


なにが起きているのか、よく分からない状態の中、「お願いします。」とだけ、先生に言ったのを記憶してます。


全身麻酔だったので、その後の記憶がなく、手術が終わってから目が覚め、先生からの説明。


「無事に終わったからね。赤ちゃんも保育器で様子見ているから。糸も見つかって取ったし、切れた頚管もきれいに縫ったからね。」


「ありがとうございました。」としか言えませんでした。


待っていた主人は大変だったと思います。


生まれたのは体重2065gの小さな女の子でした。


仮死状態でしたが、なんとか生きて生まれてくれました。


新生児集中治療室に通ったりして、さみしい気持ちも味わいました。


幸いなことに母乳の出はよかったです。


助産師さん達には「大変なお産だったね。」と言われました。

何で私がこんな思いをしなくてはならないんだろうかと怒りも湧いてきましたが、きっと私が助産師だからなんだろうと思いました。

帝王切開後はつらいな~
普通に下から産みたかったな
次のお産も帝王切開か…
と感じたお産でした。


帝王切開を経験したお母さんたちも結構傷ついているんだなと経験して初めてわかりました。敗北感みたいな・・・。


こんなお産だったけど、娘は元気です。

よっぽど強く生まれると決めてきたんだろうと思わざるをえません。