「恥」の記憶が、次から次へと蘇ってきた。

その記憶の「恥」は、小さなものだ。恥ずかしい記憶、ちょっとした後悔など。

例えば、好きな女の子が僕に向かって手を振っていた。

僕は嬉しくて手を振り返したら、実はその子は僕の後ろにいた別の女の子の友達に向けて手を振っていただけだった。僕は慌てて頭を掻いているふりをして誤魔化したが、確実にバレていた。

そんな、しょうもない記憶の数々が、僕の四肢を刺激されるたびにフラッシュバックし、鮮やかに脳裏に浮かんだ。

人づたえに聞いた話を人に話して、それがまったく間違ってい恥をかいたこと。

誰かに向かって得意気になって話したら、すぐにボロが出たこと。

女子の前でカッコつけようと思って必死にシュート決めたら、まったく誰も見ていなかったこと。

無数の、そんな恥の記憶。ほとんどが思い出しもしない記憶であり、完全に忘れていた記憶だ。

この体験は、僕にとって「心と身体のつながり」に対して、確信を与えた。



今から7、8年前の事だ。

タイ式のマッサージを受けた。2時間に及ぶロングコースだ。

筋肉を、優しく優しく、じっくりと、じわじわと、指圧していく。

自分の中で「実験的要素」はあった。じっくりと、自分の体の反応を見たかった。

僕は途中で眠くなりながら、ひたすらに指で指圧された部位を観察し、意識を集中した。

途中から、まるで瞑想状態の変性意識の状態になった。この意識状態では、自分を客観的に俯瞰しつつ、同時に様々な気づきが起こる。

そして、四肢の筋肉を刺激されると、最初は肉体の刺激だけではなく「感情」が出てきた。

複雑で繊細な感情だが、それも「ネガティブ」なものだった。

気まずいような…、申し訳ないような…、謝りたいような…、その場を離れたくなるような…。

そんな感情が次から次へと湧いてくる。僕はさらにその感情の奥へと意識を一段階滑り込ませた。

すると、感情と共に、記憶があった。

腕や脚などは、とにかく「恥」のような記憶や感情が多くあった。背中になると、もっと複雑で、重たいものがあった。

指圧されながら、その出来事について「どういうことか?」と考えを巡らせる。

どうやら、それらは「未浄化の想い」たちだ。

別の言い方をすると、

「消化できなかった感情」

「成仏できなかった気持ち」

「抑圧した感情」

たち。

どれも意味は同じだ。

どうやら、それらは人体に蓄積されるらしい。

これは、以前も深い瞑想状態で、腹の奥底に、とてつもない「劣等感」を見つけてしまったことがあったので、この時点でよく理解していた。

しかし、こんな小さな感情ですら、身体に溜まり、滞りを作っていることには驚いた。

それは宗教的な用語になってしまうが「カルマ(業)」と呼ばれるものであり、カルマは肉体と紐づいている。

僕は湧いてくる感情や、フラッシュバックされる記憶、映像や音、様々な感覚に意識を向け続けた。それはあまり心地よい感覚とは言えない。せっかくのマッサージなのに、僕は体の奥に溜まった得体の知れない毒素が全身に周り、排泄されるのを不快感を持って見守っていた。

マッサージが終了し、起き上がろうとすると、全身が鉛のように重たかった。揉み返しでもないし、もちろん単なる疲労でもない。

筋肉そのものは、おそらくマッサージで良い感じだったと思う。しかし、それ以上の「芯」のような部分が疲れていた。何より、神経や精神力が疲れた。

さすがにその日は何もする気が起きず、夜は早めに布団に入り、泥のように眠った。

しかし翌日、嘘みたいに全身が軽くなっていた。気分というか、気持ちが晴れやかだった。
 
全文はnoteにて
「身体に刻まれた見えない傷、抑圧されたカルマについて 」

 

 

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