僕は毎週のように、どっかしらの山を登ります。
 
先にお尋ねしますが、あなたは山に登りたいですか?
 
山の上は、明らかに地上とは空気が違い、天候によっては、素晴らしい展望が望めます。
 
そこに行かないと、決して味わえない空気と、見れない景色です。
 
ここで、先ほどの質問に対して、「Yes!」と答えた人の中からから、二つのパターンにが分かれると思うんです。
 
「山を登りたい人」と、「山頂の空気を味わいたい人」です。
 
僕は当然前者です。
 
山頂に行くまでのあらゆるプロセス(過程)こそが醍醐味で、山頂の気持ちよさは、僕にとっては一種の“副産物”のようなものです。
 
しかし、僕がたとえば「チャルメラ山(仮)」に、3時間かけて、汗をかきながら登って見た景色と、別の人が「チャルメラ山」に、ヘリコプターでさくっと行くとする。
だて、そこで見ている景色は、僕と同じ景色でしょうか?
 
味わう空気は、同じ空気でしょうか?
 
おそらく、現代科学的には、そこの空気も、もちろん景色も、なんら変わりないでしょう。
 
だったら労力と時間をかけて「チャルメラ山(仮」に登って得た「A山の空気と景色」よより、ヘリコプター、自動車、なんでもいいですが、圧倒的に短時間で、労力の少ない方法で得た「チャルメラ山」の空気と景色」の方が、
コスパいい、
 
ってやつですね。これが近代の「合理主義」であり「効率主義」です。そしてそれはそのまま「成果主義」「結果主義」に結びつきます。
 
これが「唯物論」であり、現代の資本主義のベースにある考え方です。
何を得るために、いかに労力を少なくし、合理的に得るか?
 
この思考が現代の社会を渦巻いています。
 
もう一度問いかけますが、何時間も歩いて登頂して見た景色と、さくっと文明の利器で連れてってもらって登頂して見た景色。同じでしょうか?
 
他にも、たとえば神社参拝も流行っていますが、長い階段や、参道を歩き、登った後に参拝するのと、本殿近くまでさくっと車で行っての参拝。
 
同じ神社に行っているのは事実としてありますが、本当に同じ神社にいるのでしょうか?