植物は生きていて、意思を持ち、感情を持っている。
これは僕の空想でもファンタジーでもなく、現代は科学的に立派に証明されている。
植物には脳はないけれど、人間の脳の神経細胞と同じものを持ち、人間の網膜細胞と同じようなものを持ち、見て、聞いて、感じて、考えていて、あらゆる生物と同じように、生存と、種の繁栄への策を練り、実行している。
山に入る。
誰もいない場所が好きだ。多分僕は「1人になりたい」から、山に行くのだと思う。
有名どころの山だと他の登山客に会うけど、それでも1人になれる時間は多い。
それでも、あまり有名ではない山に入るのは好きだ。とにかく「おひとりさま」を味わえる。
ケータイの電波も圏外。外部と遮断されている。自分と山、それしかない、そういうのがたまらない。
先日も、東北宮城県にある、人っこ1人いない、とある山中で、そんな気配の中に身を置き、古くから「御神体」として祀られている磐座の前で、1人ひっそりと佇んでいた。
昨今、熊がどうのこうのと言われるが、基本的には鈴はつけないで歩くし(真似はしないでください。リスクを持ってやってます。時々、声を出したりはします)、そういう場に行ったら、とにかく「山の音」「木々の声」を聞く。
そういう神域でじっとしていると、僕はよく歌いたくなる。稀に、舞う。舞いたくなれば舞う。その場の気分による。
以前はよく、人前でつたない歌声を披露していたけど、今は人前では歌わない。あまり歌いたくない。
だけど、こういう所で声を出す。自分自身はもちろん、山の生き物たちと、目に見えぬ存在たちしか聞いていない。
歌を歌うと、しばらくすると山が騒がしくなる。
鳥が応えるかのように歌い、動物も鳴き声を出す。
歩いている時に鹿に会ったが、歌い始めてしばらくすると、猿だろうか? キッキ、キッキ、キキー!と、森の奥深くから聞こえ、猿でもシカでも鳥でない、何の動物かわからない鳴き声や咆哮を耳にすることもある。
そして、風が吹く。
山で風が吹くなんて、何も珍しいことではない。
しかし、その風は、少し違う風だ。
全文はnoteにて
「山で感じる不思議な風 」
