「神殿」とは、神の住まう館。
神社、仏閣、教会、モスク…世界にはさまざまな神殿があり、信仰する人々は神殿へ行き、そこで神に触れに行く。
しかし、人々は大いなる神殿の存在を忘れてしまった。
それが「我が肉体」である。
神の住まう場所は、我が肉体であり、神社仏閣に行って出会うのは、神社仏閣の神ではなく、実は自分自身の神性だったりする。
それを「神社の神様」やら「仏様」と勘違いしているか、もしくはなんらかの想念体や霊魂を「神」と思っているだけである。
肉体は神殿である。あなたの中に、神は在る。
あなたの神殿は清められているだろうか?
神殿は汚れていないだろうか?
神殿は丁寧に扱われているだろうか?
神の間へと続く通路と扉の前に、ゴミが散らかり、不必要なものをおいてはしないだろうか?
あなたが神に出会えないと嘆くのなら、それは自らが、自らの神性の入り口を塞ぎ、目も当てられぬほど汚したり散らかしている可能性を考慮すべきだろう。
神の住まう館と書くと大袈裟だが、例えば一台の「車」に例えてもいい。
車はガソリンを入れるのはもちろん、タイヤのゴムの擦り減り具合、空気圧、ブレーキパッドの消耗、エンジンベルト、ラジエーター水、エンジンオイルなど、メンテナンスは重要だ。
だから車は2年に一度車検を出し、最低限の安全性を確保しないと道路を走ってはいけないというルールがある。これが乗客を乗せる大型バスや旅客機だと、さらに点検項目が増える。
点検をして、メンテナンスをした上で、そしてドライバーの運転技量や注意力が試される。
では、あなたはどうか?
人間には車検制度はない。あなたが自身で判断するしかない。
仮にあなたがどんなに心正しく、叡智に富んでいたとしても、肉体という車体のメンテナンスが行われていなければ事故を起こすだろう。自分一人の事故も嫌だが、人を巻き込む事故を起こすかもしれない。
しかし、メンテナンスをしていれば、その車で心地よい海岸や、山の展望台に行き、素晴らしい体験ができる。
あなたの肉体を丁寧に扱わねば、神の神殿どころか、人生の経験すらできないのである。
あなたは神性に出会い、自らの生を、創造的に生きていたいか?
ならば自らの神殿を清潔にし、その中に入っていけばよい。
Youtubeで「変性意識」について語っております。
普段はnoteメインであれこれ書いています。
各種イベントチケット ぜひ会いに来てください。交流しましょう。




