6月5日の朝、シンガポールから日本に戻りました。
たった2泊4日の旅なんだけど、インパクトビック。
シンガポールではルー大柴風の言葉になる。
写真は61Fのラウンジバー。
本当は63階のシンガポールで一番高層のバーに行く予定が
雨の為閉鎖してての流れだが、私と直子さんが帰った後に
雨が止んで残り組みは、見事入店できたそう。
63階に意味があって、なぜならロミの日(6月3日)。
今回の旅の首謀者、内田露美奈さんの日だからである。
ロミナさんはそれを見事叶えるのである。
偉人となると天気さえ変える。
円ソファーで女8人。
DJ音楽に負けないおしゃべり。
ホテルリッツからの眺望、朝日
4年ぶりの海外。
日本に戻って、電車の中でfacebookを眺めて、
そこにはいつもの日常があったけど、
それはとても狭い世界だった。
日本の日常でさえ狭いのに、
facebookはもっと狭かった。
私自身もFBは大好きで、
日常に溶け込んでいるのであるが、
ムッチャ狭い世界で生きてるんだと思った。
FBを批判してるわけでもなく
時空を超えたコミニケーションツールとして秀逸なのであるが、
ある意味狭い。
狭い、狭い、連発してるな、私。
つまり、海外に行って、
自分の世界の狭さを感じている。
自分の枠。
「私は○○である」の枠。
自分を自分たらしめている定義、自覚、記憶、データ・・・
無意識層でその中で泳いでいる。
もう一つ、大きいところでは、
日本の鬱屈した空気を改めて感じた。
日本人一人、一人の鬱屈である。
南国のシンガポールの空気と比べて
浮き彫りなる。
人々の大らかさ、朗らかさ、ラフさ。
それでいて、親切で優しい。
仕事にもまっとうに真摯。
日本人ほど自分を責めている人種はないんじゃなかろうか?
自分責めと比例して、他人責めの目線を持つ。
無意識的にね。
お互いに監視し合っているかのよう。
無意識にね。
「あの人のようになりたい」という憧れさえも、
その発想自体が陳腐。
「あの人」じゃなくて、
自分の最上級にフォーカスの方が楽しくないか?
「あの人」はヒントだけど、
漠然とした方向性なだけ。
ましてや、「あの人」と比べて
自分は何が足りないだのと
勝手に評価して、落ち込んで
自分の力を見ないようにしているだなんて。
そんな風に「あの人」を使うなら
捨ててしまえ!!
「あの人」という憧れに縛られるな!!
今回のシンガポールの旅のテーマは
原田直子さんによると「破壊と再生」なのだが、
破壊とは無意識レベルの枠でもある。
当たり前の設定過ぎて見えないのだ。
だからこそ、無自覚。
ここがちょっとばかり、厄介なのであるが、
無自覚枠を見える化する為に
日常のいろんな事象でお知らせが来る。
今まで採用していた枠って、
次元上昇中の地球にとって重いのだ。
だから、揺すって
振り落とす作業。
2000年くらいから徐々に始まってるんだけど、
2014年前後でかなり個人的に大きいのがやってきてる人も多い。
(私もその口)
2019年、5月、平成から令和になり、
一層空気が違っているのを感じるだろうか?
この5年ほど本当に揺らいで
それでも逃げずに超えてきた人ほど
軽やかな世界になっているはずだ。
(私もその口)
見ないふりをするほど、キツイんじゃないかな?
降参した方が楽なんだよ。
諦めた方が楽なんだよ。
負けじゃないし、
ダメなわけじゃない。
幻想ばかりを追って、
支離滅裂になってることに
早く気づいたらいい。
楽っていうのを「怠け」と捉えないでね。
自分らしく心地よく、嘘なく、ありのままに生きること。
嘘は軽く見破られる時代。
なんの得にもならないよ。



