「突き抜ける」ってなんだろね?
目立つ
秀でる
こと、と思いがちだけど、
それは本質じゃない。
「他人vs自分」の構図にいる内は
終わりのない不毛な戦い。
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前回の「おはよう名古屋」のテーマは
「突き抜けよう!」でした。
だけど全然言えてないと思い、
改めて「突き抜ける」について語ってみようと思う。
この記事は長いのです。<m(__)m>
ご興味があればどうぞ読み進めて下さいませ。↓
その前に先に言っておこう。
「突き抜ける」生き方は人生を何倍も楽しくすると!
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突き抜ける上で一番邪魔になるのは自我だ。
他人と比較し、他人の目を気にしている
その視点は自我のなせる技。
「突き抜ける」とは
目立つことでもないし
圧倒的に他人より秀でることでもない。
それはおまけ。
「突き抜ける」とは自我の殻を突き抜けるんだ。
自分で築いた小さなマイワールドから飛び出して、
自由自在に生きることだ。
(世界に自分を明け渡すことと同じかもね)
自分の魂、命としっかり繋がり
何者でもない自分を謳歌すること。
自我の層は何重にも厚い。
自我はどこにでも顔を出す。
だからと言って
自我に消えてもらっては困る。
自我がなければこの私を感じることが出来ないのだ。
ただ、自我を認識することはできる。
自我に埋没するのではなく、
「あ、自我だ」と見る。
自我が悪いわけではない。
自我に埋没していると不自由なだけ。
世界を狭めてしまうだけ。
それに、自我に埋没してると
不自由だとか、狭いとかすらも感じない。
自我の壁の存在すらもわからない。
出口のない方程式を眺めてるようだ。。。
自我の壁は
「あ、自我だ」と見つけた時に現れる。
そこで初めて選択肢が生まれる。
いつもの選択と
新しい選択だ。
新しい選択に自我は抵抗する。
そこには恐怖(予測不可能)がある。
(恐怖は幻想なのだが)
自分で自我を突き破るのはそうとうの難題なので、
生まれてくる前に、自我を壊すシナリオを仕組んで
くる人は少なくないんじゃないかな?
それが挫折や晴天の霹靂とかなんだと思うが。
崖っぷちに立たされて、「ギャーっ!!」と
落ちるしかない場面。
ま、人生の一大事を経験しなければ
自我を突き抜けられないわけでもない。
日常にそのチャンスはいっぱいある。
てっとり早いのは
「やってみたいけど抵抗感のあること」
(頭のいい自我だと「やってみたい」すら感じなくさせている場合もあり)
だから、
「なんやかんや理由をつけて、やらないようにしてること」
もいいかもしれない。
「なんやかんや」という時点で
それについて興味があるのだ。
興味がなければ「なんやかんや」すら言わない。
興味ないことはする必要はない。
あと、簡単なのは
「自分の写真を撮ってもらうこと」
(営業っぽいが、自らの撮る撮られるの体験を通して確信している)
自分にカメラを向けられた瞬間、
自我の声が大騒ぎする。
だから、自分でも気が付くんだよね。
自我を観察する自分が生まれる。
ゾワゾワと居心地悪いかも知れない。
でも、それを超えると心がフラットに静かになる。
私はこれを自分と世界が溶けている状態だと思っている。
思考の声が止み、いまここを感じる、ただある姿。
すべてが緩み、とても美しい状態だ。
こうなると、どこもかしこも美しい。
カメラのレンズを通すと
そうゆうのが見えるのだ。
それに思考だって使いようで、
(思考が悪いわけではない)
「どう撮られよう?」
「どうしたらよく撮られるかな?」
って疑問符を付けるよは、
「こう表現してみたい♪」
「こんなのチャレンジしてみたい♪」
と無邪気に遊ぶのが楽しいよ。
■11/21(水)
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次回は11月5日(月)10時~
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