昨日のブログ記事で、
『人は「答え」や「結果」を求めるもの、でも答えは自分の中にしかない』
という主旨の内容を書いたけれど、
「答え」なんて、正解なんてないのかも。
「結果」も、良い悪いなんてないのかも。
人間的な意味、現代人的な意味、○○という立場での意味
はあるかもしれないけど、もっと根本の部分ではそんなの関係なくて、
ただただ、「やりたいから!」という純粋な興味と情熱という名のエネルギーなのでは?
死ぬときに振り返るのはそうゆうとこなのでは?
いつの頃からか、我々は「正解」を追い求め、
それ以外はダメだと評価し、
自分を罰したり、制限したりしている。
それも無意識に、自然に、当たり前に。
どれもこれも、起こることはただ経験で、
経験できる為に作られたカラクリなのだが、
目の前の現象から自分を導き出すことに慣れ過ぎて、
(そうでないと、自分を自分と意識することすらできないから)
自由に飛べる翼の存在に気付けない。
自分を体験する為にこの世に来たのに、
自由の翼も使えるのに、自分の翼に気付かず、
それがないものとして人生を過ごす。
翼に代わるものを探したり。
人の翼をまねて見たり。
人の翼を勉強しまくったり。
だけど、それらは翼そのものでなく、翼のように見えるモノかもしれない。
そもそも人の翼を自分に付けることはできない。
(ただ翼で自由を楽しんでいる人のフィーリングは感じられるし、
そのフィーリングに共鳴し、共振できるだろう)
そして、我々は往々にして思考を駆使して翼を探している。
だけど、思考は翼を知らない。思考は翼を導きだせない。
思考には翼が見えない。
翼とは意志、腹から湧き上がる力。
私はこうするという宣言、自分への誓い。
結局は、その力が人生を展開するキー。
私だって、まだまだ手探りだし、まだまだ頭でっかち。
でも、これからの時代は確実に、腹の世界だし、直観の世界。
身体全体(見える身体、見えない身体)で直観をキャッチする。
人生の展開はアットランダムで、
自分の宣言次第でいくらでも新規画面が立ち上がる。
私はそうゆう世界観を自分の人生に採用しようと思う。
怖さや不安もあるよ。
飛んだら、そのまま崖の下に真っ逆さま!なんじゃないか?
って感じも消えないよ。
でも、実際に自分の翼で自由に飛び始めている人が増えてきたんだ。
一般常識人からしたらミラクルなことが起き始めてるんだ。
選ぶの自分だ!
世界は自分が選んだ世界観に従って展開するものだと思う。
腹底で何を信じているかだ。
どうせ人間ごっこしに来たんだから
楽しい方がいいじゃない!
人生の自作自演のカラクリに気付けば楽になるよ
陽子さんに一度会ってみてね
【まなみのお悩み相談会<個人セッション>】受付中!
詳しくはコチラ↓をクリック



