数日前、このような発見がありました。
ワタクシはいつのまにかエライサンになっていました。
ワタクシは笑顔というものを軽視していました。
気分が良ければ笑顔。
気分がフツーならやや笑顔。
気分がのらないと素=笑顔ではない。
何か不満がある=ぶさいくな不機嫌顔
になっていたと確信します。
笑顔について考えるために
笑顔について調べました。
もはや、誰がどんな顔をしてようと
それはその人の人生なので自由ですが
ワタクシの人生においては軽視してはいけない。
笑う門には福来る
ふむふむ
マザーテレサさんは
「平和は笑顔からはじまる」
とおっしゃり
マリリンモンローさんは
「笑顔は最高のメイクアップ」
とおっしゃり
ふーむ、
何やら、笑顔 というのは
さほどワタクシの辞書に重要視されてなかった。
別にお好きなようにでええやん。
無理して笑顔にならなくとも。
機嫌が悪いなら、それもそれでまた良しやんと。
しかし、あるアラカン女子の仏頂面を見た時に
「ワタクシもこんな顔をしているのだろうか」と驚異を抱きました。
この場面では笑顔。
この人たちの時は仏頂面。
機嫌や気分で、それ以上に、人や出来事で表現が変わる。
損得で笑顔の分量が変わるのか。
体調で変わるのか。
はたまた
「出てやってる」という心の向きなのか。
ボランティアだとスマイルは0円にならない?
笑顔だと感じがよいのか。
フツーだと感じは悪いのか。
とは言え、ヘラヘラ作り笑いをしてまで人は他人の感情について考えるべきなのだろうか。
答え
今の未熟なアラカンのワタクシは「誰かのために」「何かのために」狙いをもって笑顔を作ることは難易度が高そうな気がしましたが。
しかし、も一つ、それでもわかったこと、
感情が表情や態度に出るのは幼稚なのだと。
誰かのために笑顔を作る、
何かのために笑顔を作る、
そこまではできなくても周りを不愉快にさせる表情や態度はやめよう。
威圧感は、やはりダメだ。
これがまかり通るとなると、もうこれは権威権力に負けてしまった姿、それそのものが老害なのだ。
20代なら、どんな表情でも美しいだろうが
アラカンになれば、やはり自分の顔に責任を持つことが大切にちがいない。
別に福をこさせるために笑顔になるわけでもないし、平和の実現のために笑顔を作るわけでもないけれど、少なくとも
感じの良い表情
ここは最低限のマストなのだと考えていこう。
「ええ感じの表情」
そこは自分の人生の生き方として
大切なことと認識していこう。
では、いつも感じよい表情でいるというために何が大切だろう。
続きは気がむくと書いてみよう。
62歳になって笑顔の価値を考えることができるのはありがたいことです。
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