アシュターヴァクラギータ
◎ 第2章「気づき」
昨日まで、私は夢まぼろしの中をさまよっていた。
だが、私は今目覚めた、非の打ちどころなく、静かに、世界を越えて。
身体と世界は私の光から立ち現れる。すべては私のものであり何一つ私のものではない。
身体と世界を手放した今、私は特別な贈り物を受け取る。
私は無限の真我を見る。
逆巻き、泡立つ波がただの水でしかないように、真我から現れ出る森羅万象もすべて真我でしかない。
一枚の布きれをみてみなさい、それはただの糸でしかない。
同じように、森羅万象も間近に見れば真我でしかない!
サトウキビの搾り汁の中の砂糖のように、私は私が創造したすべての中にある甘味なのだ。
真我が知られないとき、世界は現れる。
真我が知られれば、世界は現れない。
だが、あなたはロープを蛇と見間違えたのだ。ロープとわかれば蛇は消え去る。
私の本性は光、光以外の何ものでもない。世界が現れるとき、ただ私だけが輝く。
世界が私の中に現れるとき、それはただの幻にすぎない。
水面にきらめく日の光や、真珠貝の銀の縞模様、ロープを蛇と見間違える時のように。
世界は私から現れ出し、私の中へと溶け去る。溶かされた金の腕輪や、砕けて土塊となった壺や、静まり戻った波のように。
私は私自身を讃える、なんと私は素晴らしいのだろう!
私は決して死なない、ブラフマー神から草の葉にいたるまで全世界が消え去ろうとも私はここに在り続ける。
何と素晴らしい!私は私自身を讃える。
姿形を得たにもかかわらず私は一なるものとしてとどまる。来ることもなく去る事もない、しかもすべてに偏在している。
何と素晴らしいのだろう、なんと私の力は偉大なのだろう!
姿形はなくとも、時のはてるまで私は宇宙を維持しつづける。
何とすばらしい!
何一つ私のものはない、しかも何であれ、思ったことや語られたことはすべて私のものなのだ。
私は知るものではなく、知られるものでもなく、知ることでもない。
これら三つは実在しない、
ただ本来の自己を知らないからそう思えるだけ。私は完全無欠なのだ。
一から二が産まれる!これが苦しみの根源だ。私は二のない、一なるもの、純粋な気づき、純粋な歓喜だ。全世界は仮の姿でしかない、ただそれだけを悟りなさい。それ以外に救われる道はない!
無知ゆえに、かつて私は束縛されていると思い込んでいた。だが私は純粋な気づき、
すべての区別を越えて永久の瞑想に生きる。私には束縛も解放もない。夢幻は消え失せた!すべては根拠のないことだったのだ。
森羅万象は私の内にありながら、何の拠りどころも持たない。
身体は無、世界は無だ。これを完全に理解するとき、どうしてそれらを想像から生み出しつづけることができようか?なぜなら真我は、純粋な気づきに他ならないのだから。
身体とその恐れ、天国と地獄、自由と束縛、すべてはただの作り話。気づきそのものである私に何の関わりがあるというのか?
私は一なるものだけを見る、人混みのなかに、無人の地に。ならば、いったい何に私が執着するというのか?
私は身体ではなく、身体は私のものではない。私は分割されない気づきそのもの。ただ生きることの渇望に縛りつけられていただけ。
私は果てしない海。想念が沸き上がると、意識の風が幾千もの世界という波を起こす。だが風が止むと商人は船とともに、全世界を巻きぞえにして
私という存在の底知れぬ海の中に沈み行く。
だが、ああ、何と素晴らしい!私は計り知れない深淵、すべての生きとし生けるものは、私の中にひとりでに現れ、互いに戯れあい、衝突しあい、そして消えゆく。