私のドレスを着るのに完璧も、美しさも必要ない。
私のドレスが、着る人を完璧にし、美しくする。
クリストバル・バレンシアガ
1937年に生まれ故郷のスペインからパリに進出し、現代モードの創設者。
写真は、1950年冬のコレクション。(大きな襟が幼くならずエレガントな印象に仕上がっているのは、首にそったスタンドカラーが気品を生み出しているから)
1939年2月の『デイリー・エクスプレス』は、「モード界に革命を起こしたスペイン青年のコレクションに、バイヤーとプレスが、まるでフットボールの試合でもあるかのように殺到している」と取り上げる。
★「ニュー・ルック」の生みの親、クリスチャン・ディオールは、バレンシアガを深く尊敬し、「われわれ全員の師」と呼んでいた。
★「奇跡のバレンシアガ」と語り、生涯に渡ってバレンシアガの言葉を指針としたのはユベール・ド・ジバンシィ。
★バレンシアガのアトリエで育てられたデザイナーは、クレージュ、エマニュエル・ウンガロ、フレデリック・カステットなど多数。
1953年冬のコレクション作品。(白い毛皮の大きな襟はポイントをバストの下まで下げることでドレッシィな印象に。ダイナミックな襟のラインとウエストラインの曲線やリボン、髪飾りのトーク帽が完璧な気品を生み出している)
事業拡大より、超一流と気品の評価を守り通すことを選んだバレンシアガ。
絶対に妥協しない。仮縫いのシルエット出しを何度も壊しては作り変え、完全な姿に持っていく。袖ひとつ、襟ひとつの縫い目に納得が行くまで何時間もかける。
ドレスを作るため、500人の人を動かし服作りに情熱をかけた。
1950年代には世界で最高のお金持ちの女性たちが最高の金額を支払ってバレンシアガのドレスを身にまとったが、謙虚さから広告・プレス・写真・社交界を避け、舞台裏での活動に徹した。
1927年・スペイン時代、若き日のクリストバル・バレンシアガ
1日に120回もの仮縫いをこなし、コレクションの細部にまで目配りをする。
1960年代にはバレンシアガの技術が他の追従を許さなくなり、純度の高いシルエットのドレスが人々を魅きつけ、アメリカの新聞でもその才能を度々取り上げた。
1968年パリの5月危機の年がバレンシアガの最後のコレクションとなる。
社会の変化を目の当たりにしたバレンシアガは、もはや贅沢と優雅に場がないことを実感し、店を閉じた。
私の立体裁断の恩師である近藤れん子先生は、1967年からアトリエ閉鎖までの約一年間、パリのバレンシアガのアトリエでのご経験をお持ちでした。
世界中のモードの最高峰、あのユベール・ド・ジバンシィが願っても叶わなかったバレンシアガでのアトリエ経験を、近藤れん子先生を通じて繋がりを持てることに誇りを感じます。
今日もアトリエではオートクチュールの手法・立体裁断の技術を用い、気品を大切にした服作りを行いました。
これからも、私たちの生み出すものが喜びと美しさをもたらし笑顔を増やすことができますように。
今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。
ルーチェクラッシカ・光田みどり
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