昨日は、下北沢にあるルームスさんという情熱的な店長さんのいるカフェで

女らしさとは何か?というワールドカフェ方式の対話をする会に参加しました。


女らしさ

結論からすると、


女であることそのものと違い


私は、女らしいとは、幻想であり、

その幻想を楽しんでいる


ということを、人の意見に惑わされ明確に伝えられなくて


悲しかったー!という感じでした。



なので、変わりに書きます(笑)。



「らしい」


とは、つまり


今までの前例にならっている、

多くのちまたにあふれるイメージにかなりの割合で合致する、


我々の持つ文化的記号にかなりの割合で合致する


ということだと定義しました。


先生らしい、とか芸術家らしいとかって使えますものね。



実は最近、ある男性を男らしくなったと褒めたのですが、


その人の外見の変化から、会った瞬間に、あっ、この人男になった、なんか覚悟というか内面の変化がすごく起きたんだなと


直感的に感じたんですね。


なので、その気持ちを、男らしいという言葉で伝えました。


相手の方も喜んでいただけました。


こういう自分の感じたことに基づく場合には、


男らしさや、女らしさ、女であることを


楽しんだり、喜んだりすることができる私ですが、


とても嫌悪感が湧くときもあります。


というか、この嫌悪感をどうするかについて、10代の頃から悩んできました。


男らしい、女らしいが


本当にその人から出たありのままの言葉や言動であるなら


素直に受け取ったり、伝えることを楽しめたりするのだけど


文化的記号や、前例にはめようと使用されたと感じた場合に、


とても嫌悪感が湧くということがすごくよく分かりました。


私は、自分のヌードをよく描くけど


私は自分の女を愛していて

こんなに楽しんでいるよ!


という挑戦というか、


文化的記号や前例とかとは別に表現したかったのかなと思いました。


ということで、結局は

女らしいとか男らしいとか


口で語るより


感じあって、表現したい私でした!


















































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