麻雀の世界で(も)、デジタル信仰とオカルト信仰の対立があるらしい。


簡単に説明すると


デジタル=科学的な確率を重視して勝利する

アナログ=運や流れを自分で引き寄せて勝利する


どちらかに分かれて論争が長く続いているそうだ。


先日、読んだ書物に書いてあったが、桜井章一という有名な雀士は、


次の一局で2000点で振り込むとか

次の勝負では誰が何の役で勝つとか


さらには


一分後に相手が煙草を吸う

何口吸って煙草を消すとか


そんなことまで試合中に分るというのだ。


もう、キリストが触ったら目が治るとか

キリストの血はワインだとか


そんなレベルだ。


私はどちらの立場かというと、


両方の視点が必要であると思う。


デジタルに偏れば、大局を見逃す、


オカルトに偏れば、1000点の点棒を手に入れられない。


さらに言えば、それらを適材適所で使いこなす能力というのが


もっと重要なのではないかと考える。


つまり、ここでは1点を大事にするデジタル的な考えで動く、


ここではデジタルより、大局・流れを見てオカルト的直観を大事にするという


瞬時の判断能力だ。


場面場面でそれらを使い分け、


仮に、デジタル的思考とオカルト的直観の合計が100とするならば、


ここはデジタル30、オカルト70


ここはデジタル50、オカルト50といったように


能力の分量を自由自在に配分できたとき、


勝利の可能性がさらに高まるのではないだろうか。


これは、実は、私自身、ビジネスで成功体験を積み重ねてきた結果、


行き着いた結論と同じである。


一円を追う計算や努力は必要、


そして、大局を見たビジョン・自分やお客様の心の流れを大事にする


その両方を得たとき、初めて成功という果実を味わえる。


勝利という果実が目の前に無防備に転がってくるのだ。


さらに、


件の桜井章一は、天運という生まれ持ったものと、


地運という自分が土を集めて作り上げた運と両方があるという。


運を天任せにするだけでは、勝てない。


勝負当日の自分の天運を見定め、それを利用し、


かつ自分でかき集めた地運をプラスして勝利するそうだ。


これも、人生に応用できはしまいか。


自らの生まれ持った才能、私であれば、絵を描くということ=天運


それを、そのままにせず


絵画教室に通う=地運


これらが合わさって、初めて自分自身が納得満足のいくものが創造でき、


さらに人を感動させる境地にたどりつくのではないかと


直観的に感じている。


この仮説に関しては、自分の人生で答えを出したいと思っている。



先日、賭けごとはよくないと忠告をいただくという


大きな愛を感じる出来事があったが、


麻雀の魅力は、賭ける以外の別なところにもあると


声を大にして言いたい近頃の私である。