カルシファーに愛を込めて -4ページ目

氷雨の中で 1

カルシファーとルチアが最初の口づけを交わして、恋心を告白し合ったあのクリスマスの日から約半月後のことです。



その年の冬は珍しく雪が少なく、初めて北国インガリーで冬を迎えたルチアも、積雪のせいで学校や仕事に行けなくなる日はあまりありませんでした。





新年のお休みが終わり、再び学校が始まった日の朝。



本当は早起きが少し苦手なルチアに声をかけて起こしてくれるのは、暖炉にいてお腹をすかせたカルシファーです。



ルチアにとっては、薪をねだる彼の遠慮がちなささやき声の方が、目覚まし時計などよりよほど効果があるらしく、暖かい寝床でゆっくりしたいような日でも飛び起きて、よく頭をベッドの上の階段にぶつけたりしていました。



「ルチア、そんなに慌てなくても大丈夫だよ。寝ぼけて怪我しちゃうか、気分でも悪くなったりするんじゃないかと思って、おいらの方が心配になるからさ、もっとゆっくり起きておくれよ。」



蒼い炎は大きく裂けた口でにやにや笑いながらも、ちょっぴり細めたオレンジ色の目で、暖炉に近寄ってきたルチアを嬉しそうに見上げて言いました。



カルシファーが暖炉にいる間は、ルチアも他の人同様に炎に触れることはできません。
おまけに朝というのはみんな急いでいるので、いつハウル一家が二階から駆け降りてくるとも知れないのです。



カルシファーとルチアは、家族の前ではまだ二人の親密な関係を秘密にしておきたいと考えていたので、朝の挨拶は素早く、カルシファーが薪から離れて首を伸ばし、かがみ込んだルチアの唇に軽く接吻する程度にとどめておかなくてはなりませんでした。



それでもその一瞬が、二人にとって一日の始まりに不可欠な、互いの心の触れ合いを確かめ合う大事な儀式になっていたのです。



その日の朝は霧の多いインガリーには珍しく、窓の外で澄んで雲一つない青空が輝いていました。


魔法学校の飾り気のない黒い制服に着替えたルチアは、久しぶりに乾いた空気を城の中に入れようと、リビングの窓をいっぱいに開け放ちました。


その窓の音を合図にでもしたかのように、元気なおはようの挨拶の声をあげて、お気に入りの赤と青のシャツに着替えたモーガンが、赤みがかった金髪をボサボサにしたままで階段を駆け下りてきたのです。



「早く顔を洗いなさい! ごまかしちゃだめよ。ちゃんと石鹸を使って洗わなきゃ!」



二階の窓を開けながら叫ぶソフィーの甲高い声が、城中に響き渡りました。


続いて、「ハウル、もう! なんであなたはそう寝起きが悪いの? 頭が痛いのはきのうの夜遅くまでジャスティン王子と飲みすぎたりしたからでしょ! 早くベッドから降りてよ、片付かないじゃないの!」
という、お決まりのセリフが聞こえてきました。



「母さん! カルシファーに頼んで、お湯も出るようにしてくれよ! この寒いのにさ、冷たいお水で洗ったら、顔がピリピリするからぼく嫌なんだよ!」



「顔を洗うためだけにカルを働かせるんじゃないの! 早くしなさい!」



こんな風に誰かが肩を持ってくれたのでは、人のいい炎は知らんぷりできなくなってしまうんですよね。


もしかしたら、ああいう言い方をすれば自分が言うことを聞いてくれるかも知れないと思っている、ソフィーの計略かもしれないのだけれど。


どちらにしてもモーガンのあとは、ルチアだって顔を洗わなくてはならないのですから。



カルシファーは黙ってそっぽを向くと、何も聞かなかったふりをしながら、浴室にお湯を送ってあげました。


賢いモーガンの方も、ひねくれたカルシファーのプライドを尊重して、お湯が出たことをいちいち母親に報告したりなんかしなかったのです。


ルチアはバターをたっぷり塗ったパン切れを、いたずらっ子のような笑顔をたたえてこっそりカルシファーの口に入れてあげてから、テーブルにお皿と朝食のパンを並べ始めました。



動く城の朝食のテーブルは、魔法学校の教師であるハウルと生徒ルチア、そして小学生も最後の学年になったモーガンと、下宿見習いのトーマスのお喋りで賑わい、忙しくパンやお茶の給仕と息子の世話をしているソフィーの声で活気づいていました。



そこへドアを開けて、兄弟子のマイケル=フィッシャーが、みんなに挨拶しながら若者らしい元気な足音を立てて入ってきました。



彼は昨日仕入れた魔法店の材料が入った灰色の重そうな麻の袋を二つも肩から下ろすと、衝撃を与えないように静かに部屋の角の床に置きました。



この寒さだというのに全身にかいた汗を拭きながら、マイケルはソフィーに向かって、朝食は家で済ませて来たのだけれど、この危険きわまりない荷物のせいで緊張しながら歩いて来たから、砂糖入りの紅茶だけ一杯もらえないかと頼んでいます。



「ハウルさん、ぼくはこの天気が良すぎて、何だか気に入りませんね。午後にはちょっとした嵐が来そうな気がしてならないんです」


「そうかなぁ? ぼくにはそうは思えないけどね、お前の思い過ごしってことはないのかい?」


「いえ、ぼくは生まれも育ちもインガリーはがやがや町なんですよ。こういう天気の予感ってよく当たるんです」


その口ぶりでは、いくらお師匠さんとはいえ、よそ者にご当地の天気の何がわかるもんかとでも言いたげな様子だったので、大人のハウルは「そうかい」と答えただけで、すました顔をしていました。



朝食の後片付けはソフィーに任せて、ルチアは急いで洗面所で歯と顔を洗い、髪を長いポニーテールに結い上げて、身支度を整えました。



モーガンは教科書が詰まった重いリュックを背負って、花屋の店先で待っていた数人の学校友達と元気よくかけ出して行きましたし、ソフィーはリビングの流しで鼻歌を歌いながら洗い物をしていました。



一方でハウルは材料の袋をかき回しながら、これとこれは材料自体が猛毒なので、絶対に素手では触れないように、こっちの粉は取扱を乱暴にすると爆発する危険性があるから、棚の上に無造作に置いたりしないこと、などと弟子たちに指示を出しているところだったので、ルチアは暖炉の中のカルシファーに投げキッスをしてから、体をかがめて炎にささやきました。



「行ってくるね。アモーレ」



アモーレ。
ルチアの国で「恋人」を表すこの言葉でカルシファーを呼ぶようになったのは、ちょうどこの頃のことだったのです。


その甘いささやき声と一緒に降り注いでくる愛念を浴びると、カルシファーはくすぐったくて、あったかくて、嬉しくて・・・思わず薪の上で明るく燃え上がって小躍りしながら、蒼くて細い手を振って彼女を見送るのでした。


ハウルは真剣な顔で難しい魔法について弟子たちに説明していたにもかかわらず、ふとそんなカルシファーを横目で見てしまい、一瞬吹き出しそうな顔をしたので、マイケルとトーマスは、この魔法を使って大丈夫なのかしら、ハウルさん、何かとんでもない結果が出ることを予測してなければいいけれど・・・と戸惑いながら顔を見合わせました。





     ★     ★





いつもなら、日中というのはカルシファーにとって長くてたいくつなひと時でした。


マイケルとトーマスが悪戦苦闘しながら、ハウルから出された魔法の宿題に取り組んでいるのを観察するのは面白いことでした。

時には魔法店に気難しい客がやってきて、本人も承知しているような無理難題を突き付けたり、色々とクレームをつけてくるのを、若い弟子たちが精いっぱいに対応してなだめようとしているのを傍観したりするのは、なかなか乙なものではあったのですが。


それにソフィーだって、お店が暇な時には本や新聞を読んで聞かせてくれることはありました。


昼食が終わって午後にでもなれば、彼女は暖炉の傍に座ってモーガンの服の破れをつくろいながら、店でお客たちから聞いた噂話や、家族についての愚痴話しをしてくることもあるので、そのお相手をしていると時間の経つのを忘れることができたのです。


けれども魔法店の弟子たちが二人とも外出してしまったり、ジェンキンス生花店が混雑していてソフィーが缶詰になっていたりすると、カルシファーはひとりぼっちで何時間もリビングにいなくてはなりませんでした。



そんなときは彼も散歩に出るために、煙突を昇って外に出ていくことはあったのです。


不思議なことに自由に外に出られる身になってみると、何故かそれほど冒険したいという気持にもなれなかったのですが。
でも今日のような上天気の日には、空中散歩もなかなか気分の良いものだったに違いありません。


ところが、この頃のカルシファーは誰が見ても明らかに様子が変でした。


弟子たちがハウルの宿題に難儀している様子を見ようともせずに、焦点の合わない目で空中を見つめて、ぼうっとしたような顔をしたまま、黙りこくって単調に燃えているのですから。


魔法の実験に失敗してばかりのトーマスが、哀れっぽい声で炎に意見を求めても、マイケルが「カルシファー、どうしたの?」と声をかけながら薪を足してくれても上の空。


そのくせ、誰かに大きな声を出して名前を呼ばれたりすると、過剰なほどびっくりして飛び上がったりするのです。


おまけに最近では暖炉の周りに灰が飛び散っていて、床などは足跡がつくほど汚れていました。


ソフィーは掃除しても掃除しても、しばらくするとまたもや床が灰をかぶっていることに少々いらいらして、何度かカルシファーに行儀よくするようにと注意をしました。


けれども彼は聞いているんだかいないんだか、「わかった」と一言返事をしただけで、放っておいてくれとでもいわんばかりに炉格子の下に潜り込んでしまうだけだったのです。



「最近のカルちゃんは、一体どうしたのかしら? 火の悪魔でも病気になることってある?」


ソフィーは長いスカートの裾をエプロンの紐にからげて、暖炉の床をほうきで掃きながら弟子たちにこぼしました。


マイケルは作業台で、丸くて小さな紫色の瓶の中から危険な薬品の粉をそぅっとひとさじすくって小さな四角い紙の上にあけてから、額の冷や汗を拭って答えました。



「さぁ、たとえばカルシファーが風邪をひいたなんていうのは見たことがないですね。薪がしけってたり、煙突から雨漏りしたりすると具合悪そうにぶつぶつ文句言ってますけど、そんなのはソフィーさんもしょっちゅう見ているでしょう? それより気になるのは、このごろカルシファーはため息ばかりついているし、めったに顔を出してくれないことなんですよ。薪の燃え方もだいぶ遅くなりました。なんか食欲がないみたいで、ぼくたち時々寒くてたまらない思いをするんです」


さて、その日の午前中は明るい太陽に誘われて、魔法店にも生花店にもたくさんの客が訪れました。


そんな中、カルシファーは散歩へも行かずにずっと炉格子の下に顔を隠して、緑の髪の炎だけをのぞかせて静かに燃えながら、例によって時々灰の混じったため息ばかりをついていました。


目を閉じれば、愛する人の面影が浮かんできました。


思いのすべてが彼女のことばかり。


毎晩寝る前に二人で交わす、愛情の溢れたひと時を回想しては、ため息をつき、薪の下で人知れずに悶えながら独白していたのです。



「ルチア、今どこにいるんだい?
何をしているんだい?
ああ、あの子に会いたい…あの優しい手で体を撫でてもらって…何もかも忘れさせてくれる気持ちいい波動をずうっと感じていたいんだ


だけどあの子の柔らかい唇を吸っていたら、おいらの中にだんだん熱いものが燃え上がってきてさ、自分じゃなくなっちゃって、なんかが止まらなくなっちゃう気がするんだもん」



キスをしながら気持ちが高まっているときに、ルチアが愛情を込めて体の中に流し込んでくれる暖かい息が突然思い出されました。


彼がその強い快感のために声を上げないでいられることはまずないほどで、時にはそのまま失神してしまうほどの激しい歓びをもたらしてくれるのです。


繊細なカルシファーは思わずびくっと震えて、感じるままに体を熱くすると、明るい炎をパッと吹き上げました。


「おいら、ルチアにほんとは何を求めているのかな?
あの子に何をしたいんだろうな?


そうだ、ルチアをこの手で思い切り強く抱いてみたいんだ
あの子の両手をいっぱい広げさせて、本当のおいらを抱いてもらいたいんだ


愛の真似事はもういいんだよ・・・ままごとみたいな子ども扱いじゃなくてさ


おいらは本物の愛が欲しいんだ
ルチアと本気で愛し合いたいんだ!


あの子の心と体の中に、おいらの全てのエネルギーを溶け込ませたいんだよ
それで・・・あの子の全てがおいらは欲しいんだ!!!


だけどそんなこと、火の悪魔にできるわけないじゃないか
おいらの炎があの子の体を焼きつくしてしまうのがせいぜいなこと、わかっているくせに


それに・・・こんなことを続けていたら、ハウルと心臓の契約したときみたいに、ルチアの体も心も、おいらの力で乗っ取るようなことになっちゃうんじゃないのかな?


ああ・・・だからおいらは恋愛なんかするべきじゃなかったんだ
こんなに苦しい思いをしているのに、どうしていいかわからないなんて!」



何かがまた底の方からぐうっと込み上げてきて、ツーンと喉を締め付けました。


その苦しみを吐き出すために、暖炉からはまたもや灰混じりの熱い空気が噴き出して、辺りに灰を飛び散らせていたのです。


「このまま・・・水でもかぶって死んじゃったら楽になれるのかな」



炎は初めて本気でそう思いました。


死を口に出すほど苦しいというのに、カルシファーはその苦しみが同時にとても快いものであり、自分がそこから離れられないでいることに気がついて、ますますわけがわからなくなって悩んでいたのです。