第4話(後編)
消せなかった録音が、家族の空気を変えた
「証拠もないのに、私ばかり悪く言うのはやめてください。」
義姉のその言葉に、部屋は静まり返った。
私は何も言わず、ポケットからスマートフォンを取り出した。
手のひらには、じんわりと汗がにじんでいた。
本当は、こんな形で使いたくなかった。
誰かを追い詰めるために残していた録音ではない。
ただ、自分が壊れてしまわないように残しておいた記録だった。
「由美さん?」
義母が不思議そうに私を見つめる。
私はゆっくりと顔を上げた。
「皆さんに、一つだけ聞いていただきたいものがあります。」
義姉の表情がわずかに曇った。
「何、それ?」
私は画面を操作し、音量を少しだけ上げた。
再生ボタンを押す。
最初は食器の触れ合う音。
続いて、誰かの笑い声。
そして――。
「介護って、本来は嫁の仕事でしょ?」
部屋の空気が一瞬で凍りついた。
誰も動かない。
録音は、そのまま続く。
「直樹のお嫁さんは文句を言わないもの。」
「これからもお願いしちゃえばいいのよ。」
義母と義姉の笑い声が、静かな部屋に響いた。
数秒後、私は再生を止めた。
沈黙だった。
時計の秒針だけが聞こえる。
親戚たちは互いに顔を見合わせている。
最初に口を開いたのは、義父の弟だった。
「……これは、本当に真理子さんの声か?」
義姉は青ざめたまま言葉を探していた。
「ち、違うの……。」
「そんな意味で言ったんじゃ……。」
「冗談だったの。」
しかし、その言い訳には誰も反応しなかった。
義母は震える声で言った。
「由美さん……。」
私は静かに答えた。
「責めたいわけではありません。」
「でも、私は毎日、自分なりに精いっぱいやってきました。」
「その気持ちだけは、知ってほしかったんです。」
自然と涙がこぼれた。
「仕事が終わってから病院へ行って、夜遅く帰る生活でした。」
「正直、何度も苦しくなりました。」
「でも、お義父さんのためならと思って続けてきました。」
義父はゆっくりとうなずいた。
「……ありがとう。」
その短い言葉だけで十分だった。
私は初めて、自分の頑張りを認めてもらえた気がした。
義父の弟が静かに言った。
「これからは役割を決め直そう。」
「由美さん一人に負担をかけるのは、おかしい。」
ほかの親戚も次々とうなずく。
「そうだな。」
「できる人ができる範囲で協力しよう。」
義姉は何も言えず、視線を落とした。
話し合いが終わり、親戚が帰り始めたころだった。
義母が私の前に立った。
「由美さん……。」
「今まで、ごめんなさい。」
その声は小さかった。
私はすぐには返事ができなかった。
許せないわけではない。
でも、すぐに「大丈夫です」と言えるほど、心は整理できていなかった。
帰宅後、ソファに座ると、夫から電話が入った。
「今日、叔父さんから連絡があった。」
「何があった?」
私は今日の出来事をすべて話した。
夫は長い沈黙のあと、小さく言った。
「……本当に、ごめん。」
「もう、由美一人には背負わせない。」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
しかし、安心したのも束の間だった。
翌日の夕方、一通の封筒が自宅へ届く。
差出人は、義姉の名前だった。
中には便箋が一枚。
そこには、たった一行だけ書かれていた。
「まだ終わったと思わないで。」
私はその文字を見つめたまま、動けなかった。
家族だと思っていた関係は、まだ終わっていなかった。
――最終話へ続く。