第3話(前編)
「介護なんて、大したことしてないじゃない。」
日曜日の朝。
私はいつもより一時間早く義実家へ向かっていた。
今日は介護認定更新のため、ケアマネジャーと市の認定調査員が訪問する日だった。
本来なら夫も同席する予定だった。
しかし急な出張が入り、来られなくなってしまった。
「本当にごめん。」
昨夜、申し訳なさそうに電話をしてきた夫を責める気にはなれなかった。
悪いのは夫ではない。
そう自分に言い聞かせながら、私は玄関の扉を開けた。
「おはようございます。」
義父はリビングの椅子に座り、リハビリ用のゴムボールを握っていた。
以前より少しだけ表情が明るい。
「今日もよろしくね。」
その一言だけで、疲れが少し軽くなる気がした。
私は朝食を用意し、薬を確認し、義父の着替えを手伝う。
時計を見ると、もう九時を回っていた。
その頃になって、ようやく義姉がやって来た。
「ごめーん。」
「駐車場が混んでて。」
ブランド物のバッグを肩に掛け、片手にはコンビニのコーヒー。
慌てた様子はまったくない。
義母は嬉しそうに迎えた。
「真理子、お疲れさま。」
私は台所で湯飲みを並べながら、小さく息をついた。
午前十時。
認定調査員とケアマネジャーが到着した。
義父の生活状況や介護内容について、一つずつ確認が始まる。
「主に介助されているのは、どなたですか?」
調査員の質問に、義母は迷わず答えた。
「みんなで協力しています。」
その言葉を聞き、私は一瞬だけ顔を上げた。
"みんな"。
その中に、本当に義姉は入っているのだろうか。
調査員は続けて尋ねた。
「通院の付き添いは?」
「食事の準備は?」
「入浴介助は?」
義母は答えに詰まるたび、私の方を見た。
「その辺は、お嫁さんが詳しいから。」
私は一つひとつ説明した。
通院の日程。
薬の管理。
食事内容。
夜間の転倒防止。
ケアマネジャーは何度もうなずきながらメモを取っている。
一方、義姉はスマートフォンを眺めていた。
調査が終わり、担当者が帰ったあとだった。
義母がほっとしたように言った。
「無事に終わって良かったわ。」
私は食器を片付けようと立ち上がる。
そのとき、義姉が笑いながら口を開いた。
「でもさ。」
「そんなに大変かな?」
私は振り返った。
「えっ?」
義姉はコーヒーを飲みながら続ける。
「介護っていうからもっと大変かと思ってた。」
「食事を作って、病院へ行くくらいでしょう?」
「介護なんて、大したことしてないじゃない。」
部屋の空気が一瞬で凍りついた。
私は何も言えなかった。
毎朝五時半に起きていることも。
仕事を早退して通院していることも。
夜中に何度も義父の様子を見に来ていることも。
その一言で、すべてが軽く扱われた気がした。
義父は黙ったまま、ゆっくりとうつむいた。
その表情を見た瞬間、私は胸が締め付けられた。
そして次の瞬間――。
義父が震える左手でテーブルを軽く叩き、かすれた声で何かを言おうとした。
「……ち、違……う。」
――後編へ続く。