第4話(前編)
「夫は、すべてを見抜いていました」
翌日の午後。
私は会社へ半日の休暇を申請し、指定された法律事務所へ向かった。
昨夜から、ほとんど眠れていない。
夫が私に残した書類とは何なのか。
どうして今になって連絡が来たのか。
考えれば考えるほど、答えは見つからなかった。
受付で名前を告げると、応接室へ案内された。
しばらくすると、五十代くらいの男性が入ってきた。
「お待たせしました。」
「私は、健一さんからご依頼を受けていた弁護士です。」
穏やかな口調だった。
私が緊張していることを察したのか、お茶を勧めながら話し始めた。
「まずは、ご主人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。」
私は深く頭を下げた。
「ありがとうございます。」
弁護士は一冊の茶色い封筒を机の上へ置いた。
そこには夫の字で、こう書かれていた。
『妻へ』
その文字を見た瞬間、涙があふれた。
何度も見てきた夫の字だった。
もう二度と見ることはないと思っていた、その字。
「これは、生前の健一さんからお預かりしていたものです。」
「もし私が先に亡くなったら、妻へ渡してください。」
そう依頼されていました。」
私は震える手で封筒を開けた。
中には、一通の手紙が入っていた。
夫の文字だった。
『もしこの手紙を読んでいるなら、俺はもう隣にはいないんだな。』
私は一文字読むたびに、涙で文字がにじんだ。
『急なことになったら、ごめん。』
『一番心配なのは、お前のことだ。』
『母さんは悪い人じゃない。』
『でも、人に頼る癖がある。』
『だから、無理だけはするな。』
『俺の代わりになろうとしなくていい。』
『お前は、お前の人生を生きてほしい。』
私は声を殺して泣いた。
夫は分かっていた。
義母の性格も。
私が無理をしてしまうことも。
しばらくして気持ちを落ち着けると、弁護士が静かに続けた。
「実は、お渡しするものは手紙だけではありません。」
私は顔を上げた。
弁護士はさらに一つの封筒を差し出した。
「こちらも、生前に預かっていたものです。」
そこには大きく、
『遺言書』
と書かれていた。
私は思わず息をのんだ。
「遺言……?」
夫はそんな話を一度もしていなかった。
弁護士は静かにうなずいた。
「正式な方式で作成されたものです。」
「内容については、ご本人の意思に従い、関係者全員がそろった場で開示することになっています。」
関係者全員。
つまり、義母も義姉も。
胸がざわついた。
「健一さんは最後に、こうおっしゃっていました。」
弁護士は夫の言葉を思い出すように目を閉じた。
「『妻だけは守ってください。』」
その一言で、私はとうとう涙をこらえきれなくなった。
夫は最後まで、私の味方だった。
それだけで十分だった。
そう思っていた。
しかし、その遺言書には、義母たちが想像もしなかった内容が記されていたのである。
――後編へ続く。
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