第3話(前編)
「泥棒は、あなただったの?」
翌朝。
私はほとんど眠れないまま、いつものように台所へ立っていた。
味噌汁を火にかけ、ご飯をよそい、義父の薬を準備する。
体は動いているのに、心だけが置き去りになっているようだった。
昨夜の義母の言葉が、何度も頭の中でよみがえる。
「嫁に権利なんてない。」
その一言が、胸に刺さったままだった。
朝食を終えた頃だった。
二階から義母の大きな声が響いた。
「ない!」
「どこにもないじゃない!」
驚いて階段を駆け上がる。
義母は寝室の引き出しを全部開け、部屋中をかき回していた。
「どうしたんですか?」
「通帳よ!」
「年金の通帳がないの!」
私は一緒に探し始めた。
机の中。
棚の上。
押し入れ。
どこにも見当たらない。
義母はだんだん落ち着きを失っていった。
「昨日まではあったのに……。」
「誰かが持っていったのよ。」
その言葉に、嫌な予感がした。
義母はゆっくりと私の方を向いた。
「最近、この部屋に入ったのは誰?」
「私です。」
「掃除を頼まれていたので……。」
義母は何も言わず、私を見つめていた。
その目には、明らかな疑いが宿っていた。
昼過ぎ。
義姉まで呼ばれていた。
居間の空気は重かった。
義母が口を開く。
「警察を呼ぶ前に確認したいことがあるの。」
私は思わず息をのんだ。
「あなた、本当に知らない?」
「もちろんです。」
義姉も困ったような顔をしている。
「でも、お母さんの部屋に入ってたのは、お義姉さんだけなんでしょう?」
「掃除を頼まれていただけです。」
「だったら……。」
その先は言わなかった。
言わなかっただけで、二人とも同じことを考えているのは分かった。
私は震える声で言った。
「疑っているんですか?」
義母は視線を逸らした。
「疑いたくないわよ。」
「でも、他に誰がいるの?」
その瞬間、何かが音を立てて崩れた気がした。
夫が亡くなってから支えてきた日々。
介護も、家事も、仕事も。
全部が一気に虚しくなった。
その夜。
私は一人で台所に立ち、静かに泣いた。
誰にも聞こえないように蛇口を少し開け、水の音で涙を隠した。
すると背後から義父の声がした。
「どうした?」
振り返ると、義父は私の顔を見つめていた。
認知症が進んでいても、その瞬間だけは、昔の義父の表情だった。
私は慌てて笑顔を作る。
「何でもないですよ。」
義父は小さくうなずくと、ぽつりと言った。
「おまえは……よく頑張ってる。」
その一言で、こらえていた涙があふれた。
この家で、初めて認めてもらえた気がした。
けれど、その優しい時間は長く続かなかった。
翌朝、義母は私に信じられないことを言い渡す。
「あなたの荷物、少し見せてもらうから。」
――後編へ続く。