1話
第2話 「介護は嫁の仕事でしょ?」その一言で、私の何かが切れました
救急車のサイレンが遠ざかる音を聞きながら、私はぼんやり天井を見つめていました。
病院のベッドの上。
医師から言われた言葉は、今でも忘れられません。
「過労と強いストレスによる体調不良です。このままでは、本当に倒れますよ。」
「休養が必要です。」
その言葉を聞いた瞬間、私は涙があふれました。
「やっと休める。」
そんなことを思ってしまった自分に、罪悪感すら覚えました。
夫の第一声
病室へ夫が来ました。
私は「大丈夫か」と言ってくれると思っていました。
でも、夫の第一声は違いました。
「親父たち、今日は誰が見るんだ?」
私は言葉を失いました。
私の体よりも、義父母の心配。
もちろん義父母も大切です。
でも、その瞬間だけは……。
「私のことは心配じゃないの?」
そう聞きたくなりました。
結局、その言葉は飲み込みました。
兄弟会議という名の押し付け合い
退院後、夫が「兄弟で話し合う」と言いました。
私は少し期待しました。
これで介護を分担できるかもしれない。
そう思ったのです。
ところが現実は違いました。
義兄は開口一番こう言いました。
「施設はまだ早いだろ。」
義妹は言います。
「仕事があるから平日は無理。」
もう一人の義妹は、
「私、介護を見ると精神的につらくなるから……。」
誰も「自分がやる」とは言いません。
沈黙のあと、全員の視線が私へ向きました。
その空気だけで分かりました。
「結局、あなたがやるんでしょ?」
その無言の圧力が、何より苦しかったのです。
「嫁だから」
義兄が笑いながら言いました。
「昔から長男の嫁が親を見るって決まってるだろ。」
私は静かに答えました。
「そんな決まりはありません。」
部屋の空気が凍りました。
義兄は少し顔をしかめました。
「冷たいこと言うなよ。」
私は初めて声を荒らげました。
「冷たいのは誰ですか?」
「毎日病院へ行っているのは誰ですか?」
「夜中に呼び出されるのは誰ですか?」
「仕事を休んでいるのは誰ですか?」
誰も答えませんでした。
その沈黙が、すべての答えでした。
義母のひと言
その日の帰り道。
義母が私の手を握りました。
「迷惑ばかりかけて、ごめんね。」
私は思わず笑顔を作りました。
「そんなこと言わないでください。」
義母は昔のように優しい義母でした。
認知症が進んでも、時々こうして正気に戻る時間があります。
そのたびに、自分が迷惑を掛けていることを感じて苦しんでいました。
私は胸が締め付けられました。
義母は悪くありません。
悪いのは、誰か一人に介護を押し付ける仕組みです。
私のパート先
翌週。
店長に呼ばれました。
「申し訳ないけど……。」
嫌な予感がしました。
「急な休みが続くと、シフトを任せられないんだ。」
私は頭を下げました。
「すみません。」
帰り道。
スーパーの駐車場で車を止めたまま泣きました。
介護のために仕事を減らし。
収入が減り。
自分の時間もなくなる。
なのに誰も、それを当たり前のように受け止めている。
夫との口論
その夜。
私は夫へ言いました。
「もう限界。」
夫は新聞を閉じました。
「じゃあ、どうしろって言うんだ。」
私は答えました。
「あなたも介護して。」
「兄弟にも来てもらって。」
「介護サービスも使って。」
「私一人で背負わせないで。」
夫はしばらく黙っていました。
そして、ぽつりと。
「そんなに嫌なら……。」
私は息をのみました。
夫は続けました。
「家を出てもいい。」
その瞬間。
私の中で、何かが切れました。
涙は出ませんでした。
怒りでもありません。
ただ、心が空っぽになったのです。
翌朝。
私は一枚の紙をバッグへ入れました。
それは、以前ケアマネジャーから渡されていた、地域包括支援センターの相談窓口の案内でした。
「もう家族だけでは無理。」
初めて、私は誰かに助けを求めようと決めました。
(第3話へ続く)
■管理人より
介護は「家族だから頑張る」だけでは続きません。一人で抱え込めば、介護する側が先に倒れてしまうこともあります。
近年は介護保険サービスや地域包括支援センターなど、相談できる窓口があります。助けを求めることは、決して弱さではありません。
■読者さまの体験談を募集しています
・介護の分担で家族と揉めた経験
・「嫁だから」と言われて傷ついた出来事
・仕事と介護の両立で悩んだこと
・相談機関を利用して状況が変わった体験
皆さまの体験談やご意見を、ぜひコメント欄でお聞かせください。同じ悩みを抱える方への大きな励ましになります。
▼第3話はこちら
【「もう一人では無理です」――初めて助けを求めた日、家族の本音が明らかになりました】
