【父が死んだ日】第8話
母が泣きながら言った一言
「もう疲れた……」
母がそう呟いた夜のことを、私は忘れることができません。
父を亡くしてまだ数か月。
本来なら悲しみを癒やす時間だったはずです。
それなのに母は。
毎日のように相続の資料を見て。
弁護士と連絡を取り。
兄弟の板挟みになっていました。
以前より明らかに痩せていました。
食事の量も減りました。
笑顔も消えていました。
私は何度も思いました。
父が一番望まなかった未来なのではないかと。
しかし状況はもう止められませんでした。
兄側は遺産分割調停の準備を進めていました。
こちらも対応せざるを得ません。
やがて。
家庭裁判所での調停が始まりました。
人生で初めて足を踏み入れる場所でした。
無機質な廊下。
静かな待合室。
誰もが緊張した表情を浮かべています。
私たち家族も同じでした。
兄夫婦とは別室。
顔を合わせることもありません。
それが余計に現実味を感じさせました。
本当に家族が争っている。
そう実感したのです。
調停委員から様々な質問を受けました。
父の財産。
土地。
生前贈与。
介護の状況。
何時間も話しました。
そして兄側の主張も伝えられました。
私は思わず耳を疑いました。
兄は。
「自分が父を最も支えていた」
そう主張していたのです。
私は怒りよりも悲しさを感じました。
父の通院記録。
介護ノート。
母の証言。
それらとあまりにも違う内容だったからです。
調停は何度も続きました。
一回で終わることはありません。
一か月。
二か月。
三か月。
時間だけが過ぎていきました。
そして家族の距離はさらに広がっていきました。
その頃には。
兄から直接連絡が来ることはなくなっていました。
すべて弁護士経由。
年末年始も別々。
親戚の集まりにも来ない。
まるで知らない人のようでした。
そんなある日。
母が私と妹を呼びました。
久しぶりに実家へ行くと。
母は仏壇の前に座っていました。
父の写真を見つめています。
しばらく沈黙した後。
母は言いました。
「私、決めたの」
私は顔を上げました。
母は続けます。
「もう争いたくない」
涙が浮かんでいました。
「お金なんてどうでもいい」
「でも家族が壊れるのは見たくない」
私は胸が締め付けられました。
母の願いはとても単純でした。
家族が仲良くしてほしい。
ただそれだけ。
でも。
それが一番難しくなっていたのです。
妹も泣いていました。
すると母がさらに言いました。
「本当はね……」
「お父さん、生前に言ってたの」
私は息を呑みました。
父の話です。
母はゆっくり語り始めました。
「兄妹だけは仲良くしてほしいって」
「何度も言ってた」
その瞬間。
私は涙をこらえられませんでした。
父は分かっていたのかもしれません。
家族の間に小さな火種があることを。
だからこそ願っていた。
兄妹が仲良くいてほしいと。
しかし現実は逆でした。
私たちは今。
法廷で争っている。
その事実が苦しかったのです。
数週間後。
調停は大きく動きます。
双方の弁護士が最終案を提示したのです。
長かった争いも終わりが見えてきました。
ところが。
その直前。
兄が突然ある発言をしました。
それは。
私たち家族が完全に決別するきっかけとなる言葉でした。
(第9話へ続く)
■管理人より
相続争いで一番傷つくのは、実は財産を受け取る人ではなく、残された親かもしれません。
お金は取り戻せても、壊れた家族関係は簡単には戻りません。
だからこそ、感情が大きくなる前の話し合いが大切なのだと感じます。
■体験談募集
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