【父が死んだ日】第1話
葬儀の翌日、兄が遺産の話を始めた
父が亡くなったのは、桜が散り始めた四月のことでした。
享年七十八歳。
大きな病気はしていたものの、医師からは「しばらくは大丈夫でしょう」と言われていました。
だからこそ突然でした。
その日の朝。
母からの電話で叩き起こされました。
電話の向こうから聞こえてきたのは、聞いたことのない声でした。
泣き崩れながら母が言ったのです。
「お父さんが……お父さんが……」
私は全身の血の気が引きました。
急いで病院へ向かいました。
しかし到着した時には、父はすでに白いシーツをかけられていました。
まるで眠っているような顔でした。
昨日まで普通に話していた人が、もう二度と目を開けない。
人の死というものは、何度経験しても受け入れられるものではありません。
母は父の手を握ったまま泣き続けていました。
妹も涙を流していました。
私も言葉が出ませんでした。
そんな中。
兄だけは妙に冷静だったのです。
「葬儀社は決めたのか?」
「連絡先リストはどこだ?」
「銀行関係も調べないと」
確かに必要なことでした。
長男として動いてくれている。
その時はそう思いました。
違和感を覚えながらも。
私は気にしないようにしていたのです。
葬儀は三日後に行われました。
親族や近所の方々が集まりました。
父は地元で長く商売をしていたため、多くの人が弔問に訪れました。
「立派なお父さんだった」
「本当にお世話になった」
そんな言葉を聞くたびに胸が苦しくなりました。
母は終始気丈に振る舞っていました。
しかし参列者が帰るたびに小さく肩を震わせていました。
五十年以上連れ添った夫を失ったのです。
無理もありません。
葬儀が終わり、親族も帰り始めた夜。
ようやく少しだけ落ち着きました。
私は母に言いました。
「しばらくゆっくりしたらいいよ」
母は力なく笑いました。
「そうね……」
でも。
その平穏は一日も続きませんでした。
葬儀の翌日。
兄から家族全員に連絡が来たのです。
「実家に集まってくれ」
何か手続きの相談だろうと思いました。
相続税のことかもしれない。
役所関係かもしれない。
誰も深く考えていませんでした。
午後二時。
実家のリビング。
母。
兄夫婦。
妹夫婦。
そして私たち夫婦。
全員が集まりました。
母はまだ父の遺影の前に座っていました。
線香の香りが部屋に残っています。
そんな空気の中。
兄が口を開いたのです。
「父さんの遺産について話そう」
私は耳を疑いました。
まだ葬儀の翌日です。
四十九日どころか、一週間も経っていません。
母は顔を上げました。
妹も驚いていました。
しかし兄は構わず続けます。
「後になるほど揉めるからな」
「今のうちに整理した方がいい」
兄嫁も横で頷いていました。
「そうですよね」
「早い方がいいと思います」
私は違和感を覚えました。
なぜそんなに急ぐのか。
母の気持ちは考えないのか。
父が亡くなったばかりなのに。
ところが。
兄は次に信じられないことを言ったのです。
「通帳はどこにある?」
「不動産の権利書も確認したい」
「父さん、他にも口座持ってたよな?」
その瞬間。
母の顔色が変わりました。
妹も言葉を失いました。
私も胸の奥に嫌なものが広がるのを感じました。
父の死を悲しむ時間もなく。
家族はもう遺産の話を始めている。
そして私はまだ知らなかったのです。
この日を境に。
私たち兄弟が二度と元の関係には戻れなくなることを。
父が残した財産が。
家族を壊していくことを。
(第2話へ続く)
■管理人より
相続トラブルは、財産の額に関係なく起こります。
むしろ「うちは大丈夫」と思っていた家族ほど、突然関係が壊れてしまうことも少なくありません。
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