【介護しなかった人ほど騒ぐ】遺言書が公開された日、義兄夫婦が激怒――10年介護の末に見た家族の本性【最終話】
第4話の続きです。
義父が亡くなり。
長かった介護生活は終わりました。
ようやく自由になれる。
そう思っていた私でしたが。
本当の意味での苦しみは、ここから始まったのです。
■四十九日後の話し合い
四十九日を終えた後。
義母、夫、義兄、義妹が集まりました。
議題は相続です。
義父名義の預金。
自宅。
土地。
そして金融資産。
義兄は最初から積極的でした。
まるでその日を待っていたかのように。
資料を並べ。
公平に分けるべきだと主張しました。
義妹も同調します。
私は黙って聞いていました。
介護の時にはほとんど姿を見せなかった人たちが。
この日だけは誰よりも熱心でした。
■遺言書の存在
すると義母が小さな声で言いました。
「お父さん、遺言書を残しているの」
部屋の空気が変わりました。
義兄も義妹も驚いています。
私たち夫婦も初耳でした。
義母は封筒を取り出しました。
そこには義父の筆跡。
長年見慣れた文字でした。
■義父の想い
遺言書には財産の分配について書かれていました。
内容そのものは極端なものではありません。
法的にも大きな問題はない範囲でした。
しかし。
最後の一文がありました。
そこには。
「長年にわたり私たち夫婦を支えてくれた〇〇さん(主人公)に感謝します」
「私が安心して暮らせたのはあなたのおかげです」
「本当にありがとう」
そう書かれていたのです。
私は言葉を失いました。
義父は多くを語る人ではありませんでした。
感謝を口にするタイプでもない。
だからこそ。
その言葉が胸に刺さりました。
■義兄夫婦の激怒
ところが。
感動的な空気は長く続きませんでした。
義兄嫁が突然言ったのです。
「そんなの不公平じゃない?」
義兄も続きました。
「介護したからって特別扱いなのか?」
「家族なんだから当然だろ」
私は驚きました。
当然?
本当にそうでしょうか。
夜中の呼び出し。
病院の付き添い。
介護離職。
失った時間。
失った健康。
それらは本当に「当然」の一言で片付くのでしょうか。
■夫が初めて怒った日
その時でした。
普段は温厚な夫が口を開いたのです。
「当然だと言うなら、なぜ介護に来なかった?」
部屋が静まり返りました。
「病院に何回来た?」
「夜中の対応をしたことは?」
「母さんが倒れそうだった時、どこにいた?」
義兄は何も答えられませんでした。
義妹も俯きました。
私は初めて見ました。
夫が家族に対して本気で怒る姿を。
■義母の涙
その時。
義母が泣き出しました。
「私は全部見ていたのよ」
「誰が来てくれて、誰が来なかったのか」
「お父さんも全部分かっていた」
部屋は静まり返りました。
その言葉が。
何より重かったのです。
■家族の終わり
話し合いはまとまりました。
法的な手続きも完了しました。
でも。
家族関係は元には戻りませんでした。
義兄夫婦とは疎遠になりました。
義妹ともほとんど連絡を取っていません。
おそらく。
もう以前のように集まることはないでしょう。
それでも私は後悔していません。
なぜなら。
最後に義父の本当の気持ちを知ることができたからです。
■介護の10年を振り返って
介護で失ったものはたくさんあります。
仕事。
自由な時間。
健康。
友人との付き合い。
数えればきりがありません。
でも。
義父の言葉だけは残りました。
「ありがとう」
たったそれだけ。
でもその一言が。
十年分の苦労を少しだけ救ってくれた気がしたのです。
■最後に
介護は綺麗事ではありません。
家族の愛だけでは続けられないこともあります。
だからこそ。
介護をしている人を「当たり前」と思わないでほしい。
その人は。
人生の一部を差し出して支えているのかもしれないのですから。
―完―
■管理人より
介護を経験した方から寄せられる体験談で最も多いのが、「介護そのものより家族関係に疲れた」という声です。
介護は一人で抱えるものではありません。
もし今介護中の方がいるなら、どうか一人で背負い込まないでください。
助けを求めることは決して悪いことではありません。
■体験談募集
・介護で苦労した話
・介護離職の体験談
・兄弟との介護トラブル
・相続問題で揉めた話
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皆さまからの体験談をお待ちしております。
