私にはずっと「死にたい」という不可解な思いがありました。


意識がはっきりしている時には全く死にたいなんて思ってないのに。まだやりたい事も食べたい物笑もたくさんあるし


それなのに、朝起きた瞬間に死にたいと思う。
正確には「なぜまだ死んでいないのだろう」と不思議に思うのです。それも頻繁に


はっきりと目が覚めてみると、なぜそんな風に思うのかが全くわからない。


結構長い間放っておいたのですが、気にしないでいるには余りにもヤバイ思いなので
紐解いてみました


まずね、私には何者かになりたくないという思いが強くありました。


私は鍼灸師ですと言ってしまうと、歌手ではなくなってしまうのが嫌だったんです。一つを選ぶと他の可能性を捨てる事になるのが嫌だったから。


結婚する時も、1人の人と契約をするという事が、考えただけで吐き気がするくらい憂鬱でした。
自分がルールを破らない事を知っていたから。


妻になることは
独身なら許される、もしくは他の人の妻であれば出来たはずの全ての可能性を捨てること
母になることは、母ではない場合に出来たはずの全ての可能性を捨てること



ルールを守って生きてきた私にとっては、完成形というのはゴールで墓場。
選ばなかった自分の人生を諦めて葬る行為でした。



元々境界線がグズグズのうお座なので、本来縛られる事は死ぬより辛い。だから「ルールという縛りの中で生きる」ために相当不自然な我慢の仕方を色々としてきました。


映画も出来ればラストシーンは見たくないのです。
人生ってめでたしめでたしの先が必ずある。
結末を見ないと、どうなったか気になって仕方ないから結局は見るのだけれど、私に興味があるのは結果ではなくてプロセスのほう、
いや、むしろプロセスだけだったのかもしれません。


要するに、そうやって、完成形には至らないように至らないようにしてきたのです。


{81793143-AFB4-4621-9978-CF02FB291800}




そうなると、必然的に全てが中途半端になります。中途半端なまま新しい事を始めるので、やる事も延々と増えていきます。何事も終わらないままとっちらかっていくわけです。


自分の中にあるそんな思いを感じていたら
横になっているのにも関わらず急に強烈に腰が痛くなってきました。


腰ってね
私にとっては生き方の根幹に関わる時に反応する場所

多くの人にとっても、根源的な感情が根付いている場所です。


結婚だって、実際にしてみたら楽しかった
子供が産まれたら、想像もしていなかった体験が色々できて夢中になった


なのに、私は妻で母である自分に
勝手に自分で制限をつけ続けていたのです。

で、死にたい、と思っていた。
終わらせたかったんですね。


ただし、人生を終わらせたかったのではありません。終わらせたかったのは、常識から外れないために制限を恐れて何も選ばないという不自由な考え方のほうでした。


なーんだ
死にたかったわけじゃなくて
死は終わりの象徴で生まれ変わりの合図だったんだ。


密かに鬱っぽいのかと心配してたのですが
そう気付いたら急に安堵して
同時に腰の痛みがスーッと消えていきました



最近、ひょいひょいと垣根を飛び越える人が沢山出てきています。
乙武さんは、クリーンなイメージでしたが、浮気相手は5人以上?だとか。障害者で有名人だったら、不倫はしないだろうと大衆は勝手に思っているから、鬼の首でも取ったように非難する。


爽やかだろうが、先天的な病気があろうが、清廉潔白で聖人君子だと決めつけるほうがどうかしてるのにね。なんの相関関係もありません。
でも、公認は外される。それが依然として世の中を動かしている人々のルールだからです。タブーは依然としてタブーなので。


結局私は、公認を外す側の人々のやり方に従って生きてた訳です。


どうかしてる。と思いながらも、自分自身は常識から外れることを恐れて羽目を外さなかった。

正しくは常識から外れていると非難される事が怖かったのですね。

だけど、
もういいじゃん。
イメージに縛られてたのは自分じゃん
なんのために常識を疑う事をコツコツやってきたわけ?


ゴールは墓場じゃない!


横綱になったら、有名になったら、女だったら、結婚してたら、母親なら、こうするものなんだ。
という常識に従いたくないなら従わなければ良い。それを恐れて我慢するのはもう止める。


ゴールは墓場だと思っていたから
いつまで経ってもどこにもたどり着けない煉獄(れんごく)に居続けてました


縛られたくないから、と選んだ
どっちつかずの場所は
思い切り不自由でただ単に体力を消耗するだけでした。


何かを選ぶのを避けた結果
何も選ばなかった
選ばないから、あっちにもこっちにも良い顔をするために両方やらなきゃならなくなった


小さい事では
ママ友に「学校にほとんど来ないわね」と言われて「面倒くさいから」って答えてるくせに
ちょっと埋め合わせとかないとマズイかな、と勝手に罪悪感を感じて興味が持てそうなボランティア的行事に参加しておくとか。

そんな姑息なことをしていました。

行ってみたら案外楽しんでいたりもするわけですよ。ただの人見知りでしょうか?
行くなら行くで罪悪感なんて持たずに、行きまーす!お手伝いしまーす!ってきっぱりはっきりすっきり行けばいいのにね。


あんまり気が合わないお母さんともバッタリ会っちゃったら、取り敢えず不自然にならないくらいは会話しとくとかね。

そんなの相手にだって失礼ですよね?
どーでも良い話聞かされて時間を奪われてるのだもの。


第一ほんっとに疲れる


疲れる理由は、考えすぎなのです。
勝手にマズイかな?と罪悪感を感じてみたり
姑息な自分の小心さを呪ったり
ここで話を合わせておかなければ、後々やりにくくなるかも、なんて
嫌われないために、あっちにもこっちにもちょっとずつ手を打っておくから疲れるのです。


でも結局は中途半端だから
あら?お手伝い行ったの?意外だわって言われてヘコむ



もうヤダ
もうヤダ
もう絶対にヤダ


意外だってバレてるんだから
もうグダグダ考えないで
学校行事が面倒くさく、
付き合いの悪いお母さんでイイ!


鍼灸師だからって治そうとしなくてイイの!
これも随分前から言ってたくせに、諦めてなかった事の一つ
治すも癒すも本人が決める事なのだから


ただただ往生際が悪かった


そこまで紐解けたら


やっと朝起きて
まだ死んでないと思わなくなりました
見事に思わなくなりました
スッキリ


やってみるって本当に大事
やり切ってみないとわからない




それでも、私にはまだ
椎名林檎になれなかったという問題が残っていたのです。





✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

今いる場所で違う風景を見よう

《自分の輪郭を掘り出す・自分に還る》


クリアリングは、対面のほか、電話・skypeでもお受け頂くことができます。


※電話・skypeでのクリアリングは男性の方もお受けいただけます


・ヒーリングセッション・鍼灸・クリアリング鍼灸のご予約・お問い合わせはこちらのメールフォームからお願い致します




横浜駅から15分 クリアリング鍼灸・クリアリング
石川町
ホリスティックケア・プアマナ(puamana)