弱味は補ってもらえば良い
みんなが自分の強みを人に役立てれば良い
そのために世の中には色々な人がいる
苦手も弱味も無駄じゃない
ホリスティックケア・プアマナ
サマンサです
ついに始まった大型GW
旅行、レジャーに向かう人々を横目に
私はJW
授業参観ウィークとなっております
とほほ
新学期恒例
憂鬱な校長講話・教頭講話の後
担任の先生のお話が意外に興味深かったりします
『学生時代に
何もかも嫌だー!になった時がありました。
その時、先生に
「人生に無駄な物は何もないよ
神様のなさることには無駄など一つもないのだから(←キリスト教だから。もれなく挟まるこの一文
もし無駄な物があるとすれば、無駄だと思うその心だよ」と教わりました。
その時はわからなかったけれど
自分も教師になって子供たちを見ている内に本当にそうだと気付きました。
パズルのピースには凹みとでっぱりが必ず付いていて、お隣のピースの凹みには自分のピースのでっぱりが必要ですし、自分の凹みは誰かのでっぱりに埋めてもらうことができます。
ぴったりのピースを探すには、何度も試さなければなりませんが、学校は色々な人と色々な体験を通して、自分の得意なことをどうやって人に役立てることができるか?それを通して自分の掛け替えのなさを学び、お隣の人も自分自身と同じくらい掛け替えの無い人であるということを学ぶ場だと思っています」
だいたいそんな内容でした
怒りが湧いてきたら
怒っちゃダメ
怒っちゃダメ
怒りは自分を傷つける
と唱えるとか
嫌な感情が湧いてきたら
楽しいことを考えて気持ちを切り替えるとか
それって
一時的に
無いことにしてるだけ
あるもん
童話の世界で森の怪物や魔物、暴君と戦った後に平和を得るのは、主人公が自分の中にある「得体の知れないもの・見たくないもの・暴れるもの」と対峙したのちに統合するという過程を表しているらしい。
自分の中にある暗い部分だから、魔物も怪物も暴君も鬱蒼とした森の中に住んでいるのね。
怒りの感情なんて無駄
人生は短いんだから
楽しいことに照準を合わせて生きなくちゃ♪
と言いながら、いっつも具合が悪い人は
森に近付かなければ
森は存在しないのと同じ
と思ってるだけ
あるもん
薄暗い森があって怪物も魔物も住んでるのがありのままの自分
ないない
と蓋をし続けないで
木を切って見通しを良くして
どうして怪物になっちゃったの?
なぜ暴れてるの?
って真剣に対峙すれば
元々は
怪物はウサギ
魔物はヒツジだったんだってわかる
自分が抱く恐怖や恐れがウサギを怪物に見せていただけだということに気づくから
ピースを確認したり
当てはめたりする作業っていうのは
自分の中でも多分一生続く作業
その作業がスムースに行われるようになると
今度は外の世界でも段々と
自分にとって目障りな存在は居ても無駄だ
なんて思わなくなる
善悪の二元論だけでは片付かなくなってくる
自分の中にも両方あるから
ここまでくると、やっと
自分と考え方が違う人を排除したり
どうにかして考えを変えさせようとしたり
しないでも済むようになるんだよね
道のりは長い
だから人生は面白い♪

