本日、春の土用に入りました。
そして今度の日曜日4月19日は新月

身体も心も新しい局面に入る気配がムンムンしてきております。


このところ腑に落ちるというか価値の再発見とでも言うか、そんな事が続いております。


何かの体験を通してというよりは、普段の生活の中で急に「あ、そっか!」と合致する感じです。


バランスが良い
心が平穏だ
と言うのは、心がずーっと澄んだ湖面のごとく静まり返っているわけではなくて、様々な学びを続けてきたつもりでも、やっぱり揺れる。揺れるんだけれども
すぐに平穏に戻る

そっか、これが生きるのが楽になる、というの状態で、楽に生きることの利点で、そのために色々なメソッドが有るのね。


みたいな合致です。
揺れないほうが危険だもん。
人間だもん
菩薩じゃないもん


悟った人々が説明しない部分と言うのかな?
格言の背景と言うのかな?


例えば、瞑想では雑念が浮かんできたらそのまま流しなさい。と言います。
ジャッジせずに、止めることもせずに眺めなさい、と。
ところが、実際に体験してみると、雑念との距離の取り方って意外に難しいものです。
過去の嫌な思い出がよみがえってきた場合、感情に流されずにただ映画を上映するように眺めておれば良い、という説明されることもあるのですが、もし、ここで映画の観客になって客観視してしまうと、もったいないと思うのです。


瞑想しているのだから「平常心平常心」と自分の当時の感情やいまだわだかまる気持ちを脇に置いてしまうと心は波立たないけれど、せっかくの感情の解放の機会を失うし、その出来事の解決が先送りされてしまう。


ましてや、「学びになったわ」式に良い面を見るとか、過去には囚われずに現在に「感謝します」とかで終了すると言うのは力尽くで抑圧するようなものなんじゃない?


というわけで、私的には
瞑想で雑念が浮かんできたら
「丸ごと受け止める。蘇ってきた感情は味わい尽くす。気分が悪くなっても、感じ切る。自己嫌悪に陥ったら、自己嫌悪しているわ~、ジブン。と確認してそのままでいる。この時こそ、自分を責めちゃダメ!波動をあげないと!みたいなジャッジはしない。」


っていうような合致。
気づき?

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考えるな!感じろ!っていうのは直感に正しい答えを求めるのではなくて、感じ切って次へ行け!
そしたら結果的に直観も磨かれるといいね。
ってことなんじゃないの?
という感じ。


正統派から見るとただのサマンサ流なのかもしれないけど。