自分科講座が始まり、自己紹介する前に本日の目的を遂げてしまったワタクシは、すっかり一仕事終えた気になって既に帰る気持ち満々になっていました。
やっと自己紹介も終え、ここでまた私の中では、爆発的なひと波乱があって、お昼前のワークに移行。ここからは子どもも参加。
このワークも個性が丸裸になる非常に面白いもので、先生の解説が付くと、さらに気づきが満載。益々私はやり遂げた感が強くなってきていました。
実際はやり遂げた感というよりも、お腹がいっぱいだったのかもしれません。
ちょっとキャパを越えてきていたのを、一人になって考えたかったのかも。
ここまでで、既に波乱を2つ、気付きを山ほど得ていました。
先生からこれ以上得るものがあるとかないとか、そんなことを考える余裕もなく、尋常ではない満足感を得てしまったので、今ここでこの先のことなど考えることもできなかったのです。
昼前のワークを終えて、外食組の数人の方と共に昼食に行きました。
先生は、昼食持参でご一緒せず。
昼食時、皆様の正直さが非常に印象に残りました。
私と子どもとは初対面、他の方々同士だって、2度目です。
それなのに、「こんなこと言ったら、こう思われてしまうかも」という気負いや衒(てら)いが全くない。
完全に安全だという前提で話しているように思えました。
大人になってからの人間関係だと、お酒が入っていなければ早くても10時間以上一緒に過ごした後の打ち解け方なんです。
外見や、個性も全く違う人々。
子どもに対しても、気遣いはあるものの、必要以上に上からの目線でも下からの目線でも接していませんでした。
その中で、子供は聞かれたことには答え、面白い話には笑い、淡々と食事をしていました。
朝一番に感じた「子供が一日もつかな?」という不安はきれいに消えていました。
元々は、うちの子どもは、学校でも仲介役やフィクサー役ですし、人間を観察するとか、自分言語を知るとか、それを実際の人間関係に当てはめる、ということはスゴク好きだろうなと思っていたので、楽しんでもらいたいなと思って連れてきたのでした。
私が丸裸にされる場面はあるだろうけれど、それを子供に見られて恥ずかしいとか親としての威厳が保てない、という気持ちもありませんでした。
先生に、子供を見て(診て)もらいたいという気持ちよりも、ちょうど自我を発揮し始めたクラスで難しさ感じている子供自身が今日のワークを体験することで資するものがあるだろうと思って連れてこようと思った気持ちの方が強かったのです。
食事を終えて、会場に戻る道すがら、子供が突然「3回目も来るの?」と聞いてきました。
私の方は午後のワークもしない今の時点で既にお腹いっぱいです。行くか行かないかと聞かれれば、行かない8割でした。
ところが、子供は明らかに行くつもりです。
ここまでの時点で、先生とじっくり話したとも思えない。
ほとんどの時間奥の椅子でくしゃみをしていただけです。
それなのに、午後を残した時点ですっかり次回も来たいと思っている。
なぜだ?なぜだ?何がそんなに魅力的なのだ?
子どもに来たいの?と聞くと案の定「来る」と即答です。
後で聞くと、参加者の方々に大いに魅力を感じていたらしい。
この人たちと一緒にいると、何が起こるんだろうと思っていたのだそうです。
彼女の中には、ママと離れて他の人と何かするという不安や恐れが全くありませんでした。
子供は、ママの創り出している見えない結界を決壊させても、世界も自分もママも崩壊しないと理解したのです。つまり、ママの無意識の動機より、自分の気持ちを優先させても大丈夫なのだということを。
子供や動物が本能的に人間性を見抜く目、というのは驚異的だとは知っていたものの
今までだったら「ママはどうするの?」と聞いてきた子供が、「自分は来たい」と言っている。
これは衝撃的でした。2発目のバズーカを食らいました。
嬉しい、でもちょっと淋しい(←まだ言うか!?)
親離れを高らかに告げる娘からのバスーカ砲でした。
