怒らない人になる決心をし、ついに数年来イライラし続けてきた仕事先での理不尽な要求にも怒りの感情を抱くことがなくなったあなた。

それなのに、自分の子供の振る舞いに、どうしても込み上げてくる怒りが抑えきれずに、ついカッとなって怒鳴ってしまった。




なぜ努力の末に怒りの感情を手放したと感じた矢先に再び怒りが湧いてきてしまうのでしょう?




怒りは、

カッとなる

あるいはすぐに怒る人のことを瞬間湯沸かし器、などと表現するので、「瞬間的な感情」とされがちですが、意外な事に怒りは二次的な感情なのです。



ある言葉や、ある振る舞いに対してあなたが「カッとなる」理由について考えてみたことがありますか?




友達から皮肉な言葉をかけられて「なんかムカつく」という時の「なんか」の部分です。

相手が友達であれば「なんかムカつく」だけで実際には怒りにまで発展しないかもしれないのですが、もしその言葉を発した相手が余り好感の持てない相手であった場合には、友達から言われた時よりもたぶん「もっと傷ついた気持ち」になることでしょう。

あるいは友達から言われたからこそ「傷ついてしまう」場合もあるかもしれません。




そうです

人は、他者の言葉や振る舞いによって

期待を裏切られたり

心配や、不安を感じさせられたり

恐怖を感じたり

悲しみや、寂しさを感じたりして


心が傷つくと「怒る」のです。


怒りの元になる感情はもっともっとあります。

プライドだったり、認めて欲しい欲求だったりもします。



上のケースなら、好感を持てない相手からの皮肉はあなたにとって「悲しみや恐怖を感じさせるもの」かもしれません。


親しい友達からの皮肉は、長年の付き合いなのに自分の事をそんな風に感じていたのかと「期待を裏切られた」気分になるものかもしれません。



つまり、例えばあなたが「自分が描く期待通りに他人は考えたり、動いたりしない、期待すること自体が他人に対するコントロールだ」と心から得心して、他人が自分の期待通りに振る舞わないことに対して怒ることがなくなった、とします。



しかし、恐れや不安を感じると、防衛本能から吠える犬のように怒ってしまう、という思考の傾向は相変わらず残っているとしたら、


「期待」→怒りはクリア

「恐怖」→怒りは健在ですから



相変わらず「怒り」という感情の対処に苦慮し続けなければならない訳です。



それでも

「期待」→怒りをクリアしたという成果は、人間的な成長、魂の成長にとっては、とてつもなく大きな成果であることは間違いありません。



あなたが乗り越えたのは

「期待」→怒りの思考パターンだけではなく、期待する、ということの無意味さ、他者と宇宙(神とも言えるのかも)に対する傲慢さを知り、そして支配欲求までを手放した、はずですから。


非常に大きな成果ですが、怒りの一つのパターンを乗り越えたのみ、でもあるのです。



怒り、として表現される感情の多彩さと、「なんかムカつく」に現れているように「なんか」が怒りの元であるのに自ら探る必要性すら思いつかないことや、「なんか」自体が感情として抑圧されているために、意識化するのをさらに難しくしていること




それらが怒りの感情の対処を非常に難しくしているのだと感じています。







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