例えば
『自分の中にある甘えを許すことになるのだ』
という文章があったとします。
それは、「まあ、私の中にも甘えたところがあって、それをそのままにしてるもんですから、結局ビシッとできない事が多々あるんですわ」という意味ですね。
自分の中に甘えたところがあるという事を認めているわけです。
つまるところ、許すというのはイコール そういうものが存在することを認めることなんですね。
そして、善悪のジャッジはまた別の問題である、と。
良いか悪いかといえば、悪いかもしれない。しかし、そういうものが現前として「ある」ということを、まずは認めているわけです。
しかして、許すことの意味、行為の第一段階としては「認める」ことである、と。
正義感からであろうと、嫌悪感からであろうと「許せない!」ものがある。
例としてゴキブリと致しましょう。
ゴキブリは嫌悪感から多くの人にとって悪である
ゴキブリって悪なの?
悪いことしてる?ご飯を黙って失敬してる?じゃあ、借りぐらしのアリエッティがいたらスリッパでつぶす?
多分、許せないことの大きな問題は、存在の有無と、善悪や好みの判断をごっちゃにしている事にあるのではないでしょうか?
自分が嫌なものは、すべて抹殺する、という方が理論としては余程乱暴なわけです。
善悪の観点から許すということを実行する必要はありませんし、ゴキブリをアリエッティだと思いこまなければならないわけではありません。(ゴキブリはダメでアリエッティなら良いというのは不公平だけどね)
自分には理解できなくても、世の中には色々なモノや人や出来事がある。
ただそれだけ。
理解できなくても、そのモノや人はそういうイデア(それをそれたらしめる本質 by ソクラテス)なだけ。あなたのイデアとは違うけど、それをもって抹殺も断罪もすることはできない。
イデア違いってことね
(なんの結論じゃ?)
あとは認めて受け入れるだけ
あなたがそれを好きになる必要も善悪の基準を曲げる必要もありません
神よ
変えられないものを受け入れる心の静けさを与えたまえ
(Serenity player)
>変えられるの変えられないもの
抵抗するものだけが存在し続けるのは皆様もご経験がおありでしょう?
変えられないものは受け入れる
変えられるものなら苦しくても逃げずに解決する
そうすれば必ずラクになります
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