親や他人、自分のことを許すことが出来ないために苦しんでいる方がたくさんいらっしゃいます。
私は「許さなくてもいい」と思っています。ご自分自身のこと以外は。
それに、許すためには段階があります。嫌悪感を抱いてる相手を急に許すことなどできません。許す前にはしなければならないことがあります。



芸術を評価する際には、作品の背景を考慮するべきではない、と言います。

かのピカソもPicasso’s Top 7 Tips for Creating an Exciting Lifeで

「我々は脳をブン投げて、ただ目だけで見ることができればいいのだが」
“If only we could pull out our brain and use only our eyes.”
と言っているそうです。


なぜ背景を見てはいけないのか。
素人が芸を競い合うという外国の番組で、老人が孔雀の羽根の様に広げた電飾を背負って踊る、という芸がありました。滑稽なダンスに観客は笑い、審査員のつけた点数も非常に低いものでした。ところが司会者が何故そんなことをしようと考えたのかと老人に尋ねると
「私の年老いた妻は重い病気で苦しんでいる。私は何とか妻を喜ばせてやりたくて孔雀の電飾を作り踊った。すると妻が久しぶりに笑ってくれたんだ」
会場は拍手喝采、審査員も最高点をつけ直しました。


我々の日常は、他人にとってはある一瞬を切り取った絵画のようなものかもしれません。他人の日常もまた、我々が見ているのは、老人の孔雀踊りの部分でしかないのです。


芸術の評価には背景は邪魔なものかもしれません。しかし、我々は様々な背景が人を形作っていることを知っています。


ピカソの言葉で興味深いのは、「脳をぶん投げてただ目だけで」と言っていることです。これは実は解説の部分でこの前には

ジャッジせず、隠された美を見ろ
See the hidden beauty by not judging.
という言葉があります。
原語がわかりませんが、seeは「視界に入る」と共に I see. のように理解する、心でわかる、という場合に用います。
ピカソは背景を考慮するな、と言っているのではなく、頭で考えて判定を下さず、背後にあるものを、視界に入れ、心で理解しろ、その人がそのようにある様を認めろ、と言っているように思えます。



好きになれない、許せない、と思う人にも必ず背景があります。孔雀踊りの訳を知れば、相手のことを無碍にはできなくなるはずです。

他人のことも、自分のことも許す前にはまず認めることが必要です。
認める、というのは視界に入れ、そのものの存在を認識することです。
何故、いまの人格が作られたのか?
何故、そんな行動を取るのか?
何故、そんな表現をするのか?








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