最近、3人の男性の口から、全く別の機会に同じ言葉を聞きました








それが




「自分は守られているんだと思う」












世間的には課長とか、部長とか、社長とか呼ばれている、スピリチュアル系というわけでもない男性からこういう言葉を聞くと、心底カッチョイイと思いますし、信用できる気がします









本当はきっと、誰でもが「守られている」存在であるはずなのですが、日ごろから感謝の気持ちを持っていなかったり、手柄を独り占めするような、あるいは人を蹴落とすような心持でいると、やはり守られているという意識は持ちにくいのだと思います












「守られている」という意識は、「自分は一人で生きているわけではない」「自分の実力以上の幸運に恵まれている」という心情から出てくるものでしょうし、ひいては「目に見えない存在」の価値をも認めていることになると思います












私も、何度も天使に助けられて生きてきています。




守っていてくれる存在がいるとして、その意思を実際に実現するための手助けをするために現れてくれる人が天使だと思っています








中には、天使自身がサイキックなんだろう。というケースもありました。




あるとき、翌日に人生最大に気の重い面談を控えていた私に、彼女は「男にもこんなこと言ったことないけど、寝ないで待ってて」と夜の10時に電話をくれ、その後仕事を終えて家まで来てくれました。そして翌日の面談のことを打ち明けると、そうだったんだ、大丈夫だからね。と私を抱きしめて帰っていきました。




ありがたくて、涙が出ました。




本人が、「男にも言ったことないのに・・・」と何度も首をかしげていたところを見ると、やはり彼女もサイキックである以上に天使として使わされたという意識が大きかったのでしょう








翌日、命までは取られず(当然だけど)に面談を終えられた私は、こういう時にいつもするように、仏壇に手を合わせました。












冒頭の男性たちや、私を守ってくれているのが誰なのかはよくわかりません。守護霊なのか、おばあちゃまなのか、おじいちゃまなのかもしれません。




またはキリスト教の信者の方であれば、それを「神の御業(みわざ)」と言うのでしょう。




もし、自分は宇宙の一部である、とか、誰もが生まれてくる前は大いなる意識の一部であった、という説を信じるとするならば、どちらも同じであることになります












神社に闇雲に願掛けばかりすることをたしなめられるのと同様に、本人の努力が十分でなければ、いくら守ろうとしても、その存在も十全の力を発揮できないのかもしれません。




でも、「守られている」ということを意識して生きていれば、彼らはこの先もきっと僥倖としか呼ぶことのできない幸運に助けられながら生きていくことができるのだろうと思うのです








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