リビドーとは日常的には性的欲望
または性衝動
と同義に用いられる。これはジークムント・フロイト
が「性的衝動を発動させる力」とする解釈を当時心理学で使用されていた用語Libidoにあてたことを継承したものである。一方で、カール・グスタフ・ユング
は、すべての本能のエネルギーのことをLibidoとした。
wikipediaより
日本では学校で性教育が開始されるのは、大体10歳頃
身体的に性的衝動を発動させる力であるリビドーが最高潮に達する性的ピークは18歳
生殖能力のピークも同じく18歳と考えて良いでしょう
そして、法律上男子が結婚できる最低年齢は18歳、女子が16歳、R指定は18歳以下が禁止
これは
性的ピークに向かう8年あまりを、膨らみ続ける想像とリビドーに悩み続けながら過ごし、晴れて18歳になれば画像の視聴禁止も解かれ、結婚もすることができるが、性的能力のピークは1年間でそれを過ぎれば下る一方
ということになりますね。
あくまで生殖能力については、肉体的なピークということで、能力が多少落ちても全く問題はありません。しかし、落ち始めてから結婚適齢期が来るというのが面白いですね。
結婚イコール性行為オッケーという解釈ではありませんが、日本ではフランスのように同棲のみのカップルに対しても婚姻と同等の法的権利を与えていませんので、一応の目安として使用することにいたします。
まだ多少「嫁入り前の娘が・・・」などという言葉も残っていることでもありますし
さて、すると性教育に関しては、第二次性徴の始まり頃から、性的にも法律的にも成熟したとみなされる6年から8年の間が、もっとも大切な時期だということになります
生物・解剖学的な知識は学校で習います。赤ちゃんが出来る事も習います。
しかし、恋する気持ちや、合体をすることや、キスシーンを見て自分が感じる衝動や、そんな事柄は、まだバラバラに散らばったままです
ましてや恋の次には「愛」という気持ちの状態があって、そこに至ると自分以外の者をいとおしみ、育むことができるようになる、ということは大人でも、また既に親になっていても知らない人が大勢います
「恋」は衝動を伴うもの
「愛」は対象を慈しむもの
と仮に定義しましょう
『三省堂国語辞典
』第6版では、まず「恋」は
「〔男女の間で〕好きで、会いたい、いつまでも そばにいたいと思う、満たされない気持ち(を持つこと)」、
「愛」は「①損得ぬきで 相手につくそうとする気持ち」「②〔男女の間で〕好きで、たいせつに思う気持ち」と定義する。そして、「恋愛」は両者を合同した形で、「〔男女の間で〕恋(コイ)をして、相手をたいせつに思う気持ち(をもつこと)」としている。
wikipediaより
「恋」には満たされない思いがつきもののようで、満たされたらもう恋ではないのですね
今回、みんなの性教育(相変わらず仮題)で考えたいこと
そして、根底に常に前提としてなくてはならないことは
「愛」です
性について考えるとき、性行為が介在する全ての場面では、必ず「愛」がなければならないということを、性教育においても、まず始めに教えなければならないと思います
全ての性交渉が「受精」を目的としなければならないのではありません
しかし、全ての性交渉は、「受精」しうるという認識の下に行われなければならないのです
だから、愛がなければならない
翻訳物の性教育の本では、男女がいとおしそうに抱き合っている場面が描かれたりしています
でも、愛については、その情景から感情の機微を推し量るだけ
「愛」とは何か?
折に触れて、子供たちには、その意味を説明すればよいのだと思います
人を大切に思う気持ちで、スターや人気者に抱く憧れや切なさとは違うものであること
もっと身近なもので、家族やペットを少しでも心地よい状態にさせてあげたいというのと同じ気持ちであること
両親に抱っこされるときのような、安心した気持ちの良いものであること
どちらかが一方的に相手を慮るのではなく、相手も自分を尊重してくれる関係であること
自分にも、相手にも責任を持って誠実に関わっていきたいという感情をもっていること
リビドー出っ放しの時期だからこそ、衝動に任せて行動したり、性行為を受け入れることが相手への愛情を示すのだという間違った認識を持つことがないように教えることは、大人たちの義務だと思います
そうして始めて
性的虐待に対して、被害者のほうが罪悪感を持つ
家族にも同僚にも知られたくなかった妊娠の挙句に子供を虐待する
できちゃった婚したものの、家庭内暴力に悩まされる
妊娠・中絶を繰り返す
などの件数が減ってくるのではないかと思います
