清水義則さんだったと思いますが「新しい洗剤のCMを見るたびに、ああ、また新しいばい菌を見つけてしまったのか、と思う」と書いていらっしゃいました






お風呂もまな板も、ダイニングテーブルの上も、ばい菌だらけだったのか。CMを見るたびに、新しい汚れに気がつきます






日本人の清潔志向がアレルギーの原因の一因ではないかといわれています。腸内細菌が免疫機構を左右することを考えれば、幼い頃から菌を遠ざけて育てられた子供たちは、免疫も弱くなるでしょう






産婦人科では、哺乳瓶の滅菌の仕方などと同時に、赤ちゃんに授乳する前には乳首を清浄綿で拭くように指導されます






お母さんにも当然ばい菌がついているからです。清浄綿は、基本的に熱湯消毒した綿ですから、滅菌効果はあまりなく、どの程度のばい菌駆除を目的にしたものかはわかりませんが、最低でも表面についたゴミくらいは落とすようにということでしょうか?






水道局の見学に行くと、「水道の水は十分殺菌されているので、水道水で手を洗っただけでも十分な効果が得られます」と、教えてもらえるそうです






この場合の「十分」も、程度は不明ですが、私たちが殺菌されたお水を飲み、そのお風呂に入っていることは間違いありません






新しいばい菌とともに、新しい道具、も日々増えていきます






百円ショップのキッチン用品コーナーに行くと必ず「こんな便利なものがあったのか」と思うような道具に出会います






しかも百円ですから、つい買ってしまう。物は増える一方です






良く考えれば、他のものでも十分代用ができそうなのに、100円という安さにもつられて買ってしまう。


あるいは一つのもので幾つもの機能を満たそう、という発想で考えると、ラジオに時計と懐中電灯をつけてしまう。






災害の時は便利かもしれませんが、電池がなくなると、持ち歩くのに重いだけの無用の長物になってしまいます






まな板用の除菌剤、シンク用、ガス台用、お風呂用、トイレ用、机用、畳み用、フローリング用、洗濯機用、と、あらゆる洗剤を揃えても、新しいばい菌は、メーカーの存続のためにまだまだ発見され続けるでしょう






家の中は物だらけ






でも、実際は家中のお掃除も、洗濯も重曹とお酢があれば、ほとんど全てできますし、新しい道具を買わなくても、工夫をすれば大抵のものは代用ができます






もうそろそろ拡散のベクトルから、収斂のベクトルに向かうべき時期のような気がします






外へ外へと気を散らしていくうちに、段々と真実からは遠ざかっていきます。医学や科学では、ミクロやナノのレベルで掘り下げられてきていますが、あれもやはり収斂ではなくて、細部にまで範囲を広げたという意味では拡散だといえます






大体、ダイニングテーブルのばい菌が原因で病気になったという話も、そういった研究もされていないと思います。食中毒だって、感染源はまな板のばい菌ではなくて、調理していた方の、指の傷や、食品自体のいたみなどがほとんど。何より今より保存技術も、ばい菌の研究も遅れていた昔の方が、ずっと不衛生だったはず






ばい菌を駆除するのは、人間の身体を守るためであるはずなのに、日常生活の中にばい菌の驚異がどれだけ潜んでいるかと悩んで、神経をすり減らす人が増えるのでは、ただの「余計なお世話」なだけです





ばい菌を残らず数え上げる前に、ばい菌が何故存在し、何故驚異を増し、それに比して何故人間は年々弱くなっているのかを考えるべきなのではないでしょうか



目に見えないばい菌とイタチゴッコを繰り返すのに労力を費やすより、今あるもので工夫を凝らしていったほうが脳も活性化しますし、家も片付き、お金もかかりません




本当に必要な物を見極めて、収斂させていくことを繰り返していった時、私達はやっと真実に近づいていけるのではないかと思うのです