「ふーん、そうなんだー」って思ったり「へー、そうかなぁ?」って思ったりして読んでいる。
私はそんなにマメに神社参拝行く方ではないし、史実に詳しくもないので、よくわからないことも多いが、あまりにも簡単に「いる」「いない」で決めるのもどうかと思う。
以前に、ご自分の出版物に「今の日本の神社仏閣のほとんどに神仏はおられない」と書いていた霊能者の方もおられたが、なんとなく「それはないわー」と感じた。おそらくその方のアンテナのキャッチの仕方か、神様というものの解釈の仕方なんだろうな。
現に中途半端な私でも神気仏気を感じる神社仏閣はあるし、感じる方はバンバンおられる。
そして、そもそも「神とは何?」というところに突っ込んでいくと多種多様で、そこに祀られているものもいろいろであり、中には神様でないものもあるので、正直どこまで人が感知し解明できているのか、まだまだわからない。
まだその時が来ていないものもあるだろう。
私なんかは神話より宇宙意識系の説明の方がストンと来ることが多いので、いつか誰かその方面から神話と絡めて解明してくれないかなと期待している。
(トンデモ話や興味本位に仕立てたのじゃなくてね)
ま、まだ旧意識の反発もすごいから難しいかな。
神様でなくても近いものや、パワーのあるものはいるので、よくわからないと眷族や、何かに祈ってる場合もある(私はあまり分かりません)。
祀られてはいるが本来の力を発揮していないもの、違うものが入っているものもあるらしい。
特にあまりきちんと祀られていない小さな祠等はそういうことも多々あるので注意らしいが、中途半端なくせに変に律儀なところがある私は、つい手を合わせてしまっていたので、最近は変にお願い事しない様に気をつけている小心者である。
手を合わせると、どうしても感謝や、平和 調和等を祈ってしまうが、過去世で巫女だった事もあるらしい私は、どんな方法で、何を祈っていたのだろうかと、ふと思ったりする。
とにかく「いない」と一口に言っても、その人のアンテナがキャッチ出来ていないのか、本当にいないのか、本殿でなく少し違うところに祀られているのか、常駐していないが窓口的な感じで波長を合わせると繋がるところなのか、時期でないのか、様々だ。
余談だか、パワースポット的なところで、「本来の神様はバチを当てたりするものじゃないから、自由にしましょう」とかやってる人がいるが、そら創造主はそうだし、スケールの大きな神様はそうだろうけど、やっぱりそこにはそこを守ってきた存在もいるのでそれにも畏怖と敬意の念は持って欲しい。
名も無き小さな存在は宇宙意識や地球規模の意識でないとしても、時には長い年月をそれぞれ一生懸命守っているのだから、入ったらいけないところは基本入ったらいけないし、持って帰っていけない物は置いておこう。
それを許されるピュアな人やそうする意味がある人もいるにはいるが、大抵の人は違うのでやめといた方が良い。
ずっと以前、まだ独身の頃の一時期、役目あって神社巡りをされているある方とご縁が有り、いくつかの神社やパワースポットにご一緒させてもらった事がある。
その方は本業は別にあるのだが、おそらく前世でかなりの巫女をされていたらしく、ご自分がキャッチした情報で全国いろいろな神社等で祈りを捧げておられる方なのだ。
ある時、その方のご友人が京都の亀岡のお寺にしばらく滞在されていたので、
もともと京都の私は一緒に連れて行ってもらった。
その近くの山に、荒れた小さな神社があるという話になり、そこに、その方と私と、後に私の旦那になる彼と三人で行くことになった。
場所は覚えていないが、ほとんど人がこない様な山間にその神社はあった。
鳥居と小さな祠だけで、何が祀られているのかもわからない。
鳥居から祠までの距離は短く、敷地の範囲もよくわからないほど、苔むして、草も木もボウボウで、荒れていた。
シダみたいな葉っぱも繁っていた。
木々の枝で光もそんなに入らない。
はっきり言って、普通の人は近づいたらアカンところだというところは私にもわかる。日が暮れると近寄らない方がいい。私一人なら昼間でも無理かも。
何かが存在しているのかわからないが、手入れをされていないので、場がひらけていないのはわかる。
荒れているが、山間なのもあり空気は清浄だ。
その方の指示で、その方を先頭に三角形に並び、祝詞が唱えられた。
そのあと、その方は真言を唱えたり、手を動かしたり、詳しくは書けないが(詳しく覚えてもいないけど)、
とにかくいろいろとされていた。
私はその間ずっと手を合わせていた。
と、次の瞬間、その山間の神社が鳥居ごとキーーーーーンと鳴動したのがわかった。
本当に空気の振動と共にキーンという音がはっきりと鳴ったのだ。
実際に鳴ったのか、聞こえる人にしか聞こえないのかわからないが、その瞬間、辺りの空気が一変した。
そして木々の間から太陽の光がサーッと射し込んできた。
あきらかに何かが変わったのがわかる。
もう感動より、そのキーンが気になって何が何だかわからなかった。
その当時、陽の光が射し込むのや、空から微かに鳴動する音が聞こえたり、虹は慣れっこになっていたが、間近で神社が鳴動したのは初めてだった。
「今、神社、キーンて鳴りましたよね」と言ってみたが、その方は軽く頷くだけで、じっと神社を確かめるように見て「さ、大丈夫、行こうか」と言った。
私達は神社に手を合わせ一礼して、もと来た細い道を歩き出した。
私はそれ以上聞けず頭の中は「???」状態。
これは、荒んだところでも、神様がおられない様に思えても、祈るべき人が人が祈ると、こういう事もあるのだと知ってはいたけどまざまざと体感した という話。
むやみに怖れたり敬い過ぎる事もいらないが、やっぱり敬意と畏怖の思いは必要だ。
新しい時代はそうじゃないのよ、という人もいるが、新しい意識の子供は、いろんな存在と遊びながらも、そこら辺は心得ているようだ。
宇宙は人智を超えている。