ここ数日思っていたとこ。
私にとっては、ファッションと人生って相似形だなぁ、って。
他の人はどうか知らないけど。
正直、自分にとって似合う服とかいわゆるファッションっていうものが分からなくて、どれがいいのかも良く分からない。
なのでいつも「誰かセンスのある人が’こういう服が似合うよ’’こういうスタイルが良いよ’って教えてくれたらいいのに。スタイリストさんとかいたら楽だろうな」って思ってた。
きっと、自分で探して考えて試して、ってする事を億劫がっているんだと思う。
とりあえず持っている服で’なんとなーく’変な格好でなければそれで良くて、同じような似たような物を着続けていた。
他方で人生は、といえば、こちらも同様だな、と。
自分がないをやりたいか、どうなりたいか、っていうのが分からなくて、ハッキリしたものが見えないから考えるのも面倒で。
で、こちらもやはり「誰か私に’これをやったら間違いないよ’’こっちの道に進むと良いよ’って教えてくれないかな」って思っていた。
失敗しない生き方を示してもらえたらいいのにな、っていう感じ。そして、自分で大した決断もせず、周りに流されてることがほとんどだな、って。
そんな似たような態度で接している二つの事象は、今までを振り返ってみると、なんだかリンクしているような気がする。
何故か、それなりに服装を気にして自分なりに楽しんでいる時は、人生も新しい出会いを自分でも広げる機会があったり繋がりが生まれたりして、充実していた気がする。それこそ、能動的に生きていたような。
それが、着るものがルーチン化していったり服装を気にしなくなっていた時は、周囲との関係も希薄になり色々な物が億劫のような、停滞してしまっているような気がする。
正直、服は多少古くても、今あるモノを着てれば外出できない程度じゃないし問題ない。だから、お金をそんなものよりも本とかイベントに行くとか違う事に使いたい、と思ってしまう自分がいる。私の中で、ファッションの地位は低いのだ。
だけど、それってもしかして、自分の欲求を満たしているようで、自分を蔑ろにしているのだろうか?
「こんな服を着てみたい」と思ったところで「似合わないかもしれない」「いい歳して着れる服じゃない」とか意識しないまま制限をかけていたような気もする。もし、そうなら、ファッションに興味もなくなるし、自分がどうしたいのか、なんて分からなくなるだろうな。
そんな落ちのない、なんとなく思った事。