ひとは、何かを祈っているとき
いつも中心でいられる。
誰かや、何かの幸せを願って
自分にはどうすることもできないとき、
何もできない&することがないときには
ただ“祈る”しかなくて、
そんなふがいない、ちっぽけな自分に
ひとは小ささを感じることもあるけれど
自分以外に、幸せを願える相手やひと、何かがある
ということ自体が実はとても幸せなことなのかもしれませんね♪
そこに、浮かぶ顔がある…
祈れるとき、願えるとき
実はその本人が一番幸せで
「祈る」でも「祈ってあげる」でもなく『祈らせていただく』。
そんな心境になれるとき、
ほんとうに祈っているとき
人の意識はいつも中心にあり、
中心に還るもの♪
そして意識の中心は、ただシンプルな愛でしかない んだと悟れるもの。
なにも、すべきことがないときでも
「祈る」ことで
その祈りは祈り(肉体)を超えて届き 現実にちかくなっていく…
「祈り」って、意識の集合体。
案外バカにできないのかもしれませんね^^


これから、年の瀬にかけて年賀状の準備をされる方も、されない方も
今年はちょっと“義務”ではなく“祈り”のこころをもって 書けるといいですね☆
そうすると、たった一筆でも
出てくるコトバが変わってる…
社交辞令なコトバではなく、「ひと」としてのコトバが
より先方さんに届くかたちできっと中心から出てきますよ。
どうぜなら、年賀状書きも「イヤイヤ」ではなく「楽しみ」たいもの^^
お手紙・おハガキを書くのがニガテな方は、
よろしかったらそんな一瞬&一節も参考にされてみてくださいね♪