「嫌われる」ほうが、実は安心する♪
だって、それ以上こころを開かなくて済むから…
相手にも、自分にも。
逆に、「愛される」ほうがこわくて、
自分の小さなところも闇も全部包まれてしまうわけだから、
まるごとハグされてしまうわけだから
「嫌われる」ほうが安心する。
でもね。
残念ながら、
そうして「愛される」ことがこわくて、
逃げている“そのまんま”のあなたを、
ジタバタしているあなたこそを実はずっとだれかが見ていて。
いつも、そっと
静かに見守り、
ずっと、どこかで
エールを送りつづけたりしている。
残念だけど、
この地球のどこかに
必ずひとりくらいは
そんなひとりがもれなく存在していて。
それは
「近い」ときも「遠い」ときもあるし、
「ひと」のときも「宇宙」のときもあるけれど。
いつか、長い永い人生の道のりのなかで
そこに気づけたなら、
そのとき初めてただ「ありがとう」って、
今までずっと「ありがとう」って
そこから倍返し♪の人生を始めればいい。
いろんな味方がつくのは、きっとそんなとき。
そして
「本当の言葉」があふれるときも、きっとそんなとき。
愛されていないひとなど、
本当はこの世に
だれひとりとして存在しなくて。
実は、目にする言葉たちもみんな
あなたを愛している。
自分を愛せていないときに、
その過程から生まれる言葉たちさえも
みんなみんなあなたを愛している。
そうして、いろんな存在に見守られながら
本当の意味で自分を愛せ。
まわりのことも、素直に愛せるようになったときの
「自己愛」を超えた部分の言葉が
やがて仕事になり、
実りとなり
永遠の
時を刻みはじめるのでしょう。
そんな、
エンゲージリングのような言葉こそを
静かにわかちあっていけるといいですね♪
保証書は、どこにもないけれど。
ないからこそ、
本当に大切なものは
こころのなかに流しつづけて。
いつか、この世にあふれる言葉たちが
すべてそんな「泉」から湧き出たものであれますように…
今日も、一画一画にこころのなかで指を通しながら、
そのこころの風通しもよくなること、願っています。
文章は、こころで出来ている。
テクニックなんて、いらない。
いつか、もっとより多くの方が
この真理の源にさらにもっと近づけますように。
