さようなら・・     <命を還す旅20> | 感覚派の幸せ&文章講座

感覚派の幸せ&文章講座

繊細で感性豊かな人がいちばん幸せになれて、生かされる居場所を見つけることや育む言語化サポートもさせていただいています。


そして、いよいよ黙祷の準備です。


「原爆の火」がめずらしいからか、まわりに色んな方々が集まって、


携帯のカメラでパシャパシャ撮られます。




でも、こんな人の集まるところで火を燃やしてはかなり危ないので、


11時02分の黙祷直前に、1人すみやかに場所を水辺に移し、


最後の火をキャンドルランタンに灯します。




2ヶ月間、ずっと大切に燃やし続けてた原爆の火です。


もともとこの火は、故・山本達夫さんが、


おじさんの遺体がわりにと持ち帰った火。


「命」の火です。


そして、さらにもともとは、


この火は「おばさんからの愛」を受け継いだもの・・バラ




戦時中の真冬に、3度目の軍隊召集を受けた達夫さんに対して、


「これが最後の旅立ちかも」と感じたおばさんは、


いてもたってもいられなくて、


せめて最後達夫さんに何か持たせたくて、


手にしてたハクキンカイロを達夫さんに渡すのです。




そして、そのハクキンカイロがあったからこそ、


8月6日広島で被爆した軍隊の達夫さんは、


そこから姿なきおじさんの遺体を持ち帰る時に、


代わりに屋敷でくすぶっていた原爆の残り火を、


このハクキンカイロにしたためて、持ち帰ってくることができたのでした。


そして、今に至ります。




ちなみに、ハクキンカイロとは


     織り鶴カフエ from Nagasaki  ☆       -NEC_0095.jpg


このようなものです。




私は


「なぜ8月のそんな暑い日に、達夫さんはハクキンカイロを持っていたのか?」


が不思議で、その息子さんの拓道さんに質問したことがあります。


とても素朴な疑問だったのですが、ふと気になって・・




そうしたら、こんな答えがかえってきて、


あぁ、もとはやっぱりから生まれた火だったんだなって。


そして、達夫さんも、


真冬が過ぎて、真夏の8月になってもそれを持っていた・・


ちゃんと、おじさんの遺体をあきらめてもう帰ろうとする「その」瞬間さえも・・・




これは、「普段からずっと身につけて持っていた」からこそ出来た奇跡。


達夫さんも、おばさんからの贈り物を季節問わず大切に持ち続けていたからこそ、


お互いが、お互いを大切に思っていたからこそ、生まれたこの・・


それが、いつしか憎しみのに変わっていったのも、誰も責められない。


愛が憎しみに変わっていった軌跡、


そして、それがいつしか平和のとして歩み出すまで、


一体どれほどの月日をこの火は生きてきたのでしょう。





「もういいよ」


 ・・何が?



「火の本質を変える」


 ・・どうやって?




そんなことは、実際のところ答えを立証するすべも何もないのだけど。


ここで、今の自分に出来ることは、


「皆様からの祈りの鶴で、この火の怒りを終焉する」こと。


そして、火の本質が変わるように、


ここ「祈りのナガサキ」から、11時02分火の終焉時に、たくさんの祈りが集まる中で、


実際に「祈る」こと・・


それだけ、なんですね。


でも、それだけの為に、2日間自宅から歩いていく旅に出ました。



最後は、この火を終焉することで、


原爆にまつわる色んな「怒りの命」も、空に還していけたら・・キラキラ






そして、最後の火を灯します。


そして、皆様が原稿用紙に書いてくださった祈りの鶴に、


火を燃え移します。


ここからは、誰の証言も証人もないのですが、


煙が、もくもくと立ち上がっていく空に、最後この火はとてもうれしそう♪に、


そしてこの祈りの鶴を美味しそうにして^^明るく光って、最後消えていきました。




最後の鎮火は、日本一の「富士山の湧き水」です。


これ以上ないってくらいの、贅沢なお水です。家から持ってきました。


当時、お水を求めていた方々も、最後こんな綺麗なお水が飲めたなら、


それがきっと「安らぎ」に変わりますよね^^


最後よろこんでいただけたのではないかなと思います。



そして、「さようなら」です・・♪♪キラキラ