今週はまた通院で病院に行きました。
とりあえず経過観察になった。(再入院とかに成らなくて)良かったウインク
入院していたとき、休憩所から見える景色を退院して外を歩ける様になったら歩いて見たいと思って居ました。
病院から出る事は容易に出来なかったから、外の景色を見て歩いてみたいと毎日思って居たのでした爆笑
コレは病棟から見えた景色。
となりの善養寺のお墓。
コレは病棟の休憩所。
ドレーンとか心電図モニタつなぎっぱなしで歩いて移動出来たのはココだけでした。
大変だった。退院して外を歩ける様になったら、あのお墓見て回りたいと思ったニコニコ
だから、通院した序に行ってみたニコ
ある墓誌を見たら、わーすごい!ガーン
5人同じ日に亡くなっています。悲惨。悲劇です。
1945年3月10日.....なんと、あの東京大空襲です。まぁ、これは間違いなく大空襲の犠牲者でしょう。
東京大空襲はB29爆撃機が1945年3月10日に325機の大編隊でマリアナ諸島のテニアン島から東京の下町を焼夷弾(この日だけで32,7000発!)で無差別爆撃した攻撃です。
一晩で12万人が犠牲になったと言われて居ます。
当時、東京の下町はほとんど木造住宅が密集していました。焼夷弾は木造住宅を火災で焼き尽くす目的で開発された爆撃です。
金属の防弾装甲を貫通して炸裂する徹甲弾とは違い爆発しません、代わりに物凄い燃焼します。
亡くなった犠牲者も炎に撒かれた事でしょう。
こうしたちょっとした墓碑に名前が残っている事で身近にあった戦争の悲惨さを思い還す事が出来ます。
内陸爆撃に来たB29は東京上空を飛ぶとき、地上の余りに凄い炎で竜巻の様な上昇気流(火災旋風)が発生し、目的地に到達する前に爆弾を全部投下して帰還するしか無かったそうです。
その下には9歳や13歳の女の子が逃げ回っていた、と言う事ですね。
今の平和な日本が有るのもこの様な犠牲者が居たからだと思います。
そう思って面識ない方のお墓に手を合わせたのでしたショボーン
ちなみに、他にも東京大空襲の犠牲者の墓碑はありました。
命は大事だと思いました。