今年も、この日がやってきました。
仙台に住んでいるぴんがは、忘れることが出来ません。
ダンナは、茨城に単身赴任していました。
母が肺の病気で、在宅酸素をしていたので、
ぴんがは母の介護をしていました。
ぴんがはほうれん草を茹でていました。
大きな揺れに、ガスを止めて、母のそばに行こうとして、歩けなくて床に四つん這いになりました。
母は、年長猫の🐱きよを抱きしめて、揺れていました、酸素の機械が動いているか、それが一番心配でしたが、激しい揺れで、立ち竦みました。
長い長い揺れが収まって、母を抱きしめました、
きよは震えていました。
酸素の機械も、テレビも、電気は止まり、すぐ近くの広瀬川でサイレンが鳴りました。
「お母さん、酸素借りてくる」
そう言って、外に飛び出しました、近所の内科に走りました、アパートの前、お店の前、薬局の前、みんなが座り込んでいました。
まん丸の酸素ボンベを借りて、家に走りました。
雪が降ってきました、物置に行って、古い灯油ストーブを引きずり出しました。
母を助けなければ!
それしかぴんがの頭の中にはありませんでした。
ぴんがの生まれたのは、海沿いの町、
まだ親戚の家がありました、ラジオ📻から、
その町には津波が来て、たくさんの人の遺体がある、と報道されていて、カラダから力が抜けました。
一晩、ゆらゆら予震が絶え間なくおきるなか、
ストーブに、猫たちとくっついて近づいて過ごしました。
トイレの便座🚽も、停電で、もの凄く冷たく感じました。
1日で、酸素ボンベはカラになりましたが、
母は、苦しみもなく過ごしてくれました。
翌日、電気が復旧し、テレビ📺を見て、津波の凄まじさを初めて知りました、
電話が繋がらないのと、食べ物が手に入らないのが大変でした、ダンナからの電話があったのが3日経ってからです、いま、仙台に着いたところだと言われ、ほっとしました。
ダンナは、自転車🚲で、遠くまで買い物してくれて、魚や豚肉を手に入れ、卓上コンロで調理しました。
一週間くらいの時間、近くのスーパーに並んで
買い物が出来、初めてガソリンを入れることが出来ました。
最後まで復旧しなかったのは、ガスです。
一か月、お風呂に入れませんでしたが、みんな同じ、不潔感はありませんでした。
長くなりましたが、仙台はこんな状況でした、
防災に関する何かのみなさんの役に立つことを願うばかりです、読んでくださりありがとうございます。