いなり寿司の歴史を探ろうとしましても、なかなか文献が少ないことが悲しいのです。

以前もブログでご紹介しましたが、現存するのは『守貞謾稿(もりさだまんこう)』や

『近世商売尽狂歌合』くらいです。

そこで、『振売り』の方などからも、探っています。

 

 

*『新版御府内流行名物案内双六』(弘化4年 1847年くらい)

ずいぶんと立派ですが、こちらは『いなり寿司の振売り』です。

かなり大きめですね。

 

そして、一般的な「ご飯が入った、いなり寿司」が文献に登場するのが

この頃なので、いなり寿司は、天保期末期1830年〜1844年くらいに

登場したと考えられております。

 

 

『近世商売尽狂歌合』(1852年)では、簡易タイプの『いなり寿司振売り』です。

振売りで、割と早めに登場したのが「油揚げ」だったらしく

いなり寿司へと発展するベースはあったのね。

 

 

左上の「志乃多(信田)寿司)は、

天明の大飢饉(1782年〜88年)のおりに、油揚げの中にご飯のかわりに

「おから」をつめて、上のような「振売り」で売ったのが始まりとされています。

 

ここに、引っかかるのです!

現代の方が、各文献を訳されたり解説されると

「(現代は、いなり寿司といえばご飯が入っているが)ご飯のかわりに

おからを入れて売ったのが始まり」と書かれます。

 

まぁ、油揚げ→お豆腐を油で揚げる→お豆腐を作るには、おからが出る

それを無駄にしないように味をつけて売った。

それが自然なのですが、その信田寿司は、しばらく売られていたのか

「元々も、ご飯を詰めて売っていたが、飢饉で、おからに一時的に変えたのか」

考えると眠れなくなるのです(笑)

 

もし、元々は「ご飯入り」で、飢饉のために一時的に「おから」なら

いなり寿司の発祥が「天明の飢饉」以前となり

一般的に言われている時代より50年ほど遡ります。

あぁ〜知りたい(笑)

私が地方のいなり寿司や、稲荷神社さん周辺のいなり寿司店に伺ったり

探したりするのは、それを知るヒント探しでもあるのです。

 

 

食べ方も、色々あったようです。

『藤岡屋日記』には、「弘化2年(1845年)10月くらいから流行し

1つ8文で「山葵醤油」で食べる。日暮れから夜にかけて露天で売った」とあります。

 

 

「振売り」の口上も面白かったようです。

「壹本(いっぱん)が十六文、ヘイ〜〜ありがたひ、半ぶんが八文、

 ヘイ〜〜ありがたひ、一ト切(ひときれ)が四もん、サア〜あがれ〜、

 うまふて大きい〜〜、稲なりさま〜〜」と書かれております。

 

今、無性にタイムマシーンが欲しい、いなり王子です(笑)