ある国の、ある地区では
「雨」の言葉だけで50種類以上あるのだとか。
ーアルマジロの雨、短い雨、紅い花の雨、川を叩く雨、木の匂いの雨…
雨の数だけ匂いも違う。ー
それを本で読んだとき、すっごく納得した。
雨って色々あるもんね。
それは雨だけじゃなくて、
風とか、雲とか、空模様とか、葉の色とか…
自然の中のどこを切り取っても、
そう呼んでいるだけで、実際は
「似てるけど微妙に違うもの達」。
この頃、
自分の感じたことや、キャッチしたものをノートに言葉として書いていくうちに
私たちの感情もこれと同じだなぁ。と思うようになっていた。
前にやっていたインスタサロンでも「自分の言葉にする」という事の大切さをみんなで共有した10日間チャレンジをした事があったんだけど
私たちは
・悲しい とか
・苦しい とか
・楽しい とか…
そういう言葉を簡単に使うけど
それは “なんか色々とある複雑な何か”を表現するために、
言葉が先にあって、
自分でも疑うことなく
その言葉の中に気持ちを集約している様に思えた。
なにかが生まれるとき、気持ちが先にあって、
それが形になるはずなのに
「悲しい」ってことにしておこう。
「苦しい」ってことにしておこう。
「楽しい」ってことにしておこう。。。
だってこの状況、
そうに決まってるよね?
そういう事だよね?
そうやって、「こうなったら こうだよね。」っていう自分の中で作られている正解のレールにのって
一つの言葉に集約して終わる事を繰り返していくと、
自分の本当の気持ちは
どんどん分からなくなっていく。
この気持ちって、本当に「悲しい」なのかな?
私って今、本当に「苦しい」なのかな?
この気持ちを、なんとなく最近よく耳にする言葉に嵌め込むんじゃなくて
自分がしっくりくるような…そんな文字で表現したら何なんだろう?
そうやって自分を見るようになった頃から
私は“わたし”だと思っていたもう一つの声が、いつも私にくっついていることに気付いた。
「あれ?これ、なんかもう一人、わたしなんだけど
“わたし”じゃない奴がいるぞ。」
言葉にするとそんな感覚。笑
そしてこれを「自分の気持ち」だと勘違いすると
正解が、いつも外側にあって、
それを「手に入れる事」のために“わたし”を使おうとして苦しくなる迷走ループに入っていく…
昨日、はるラボのスタートアップミーティングで、始めの一ヶ月は「体感覚」を意識してみよう♡というお題がでました
当日、後半部分が聞けなくて😂まだこれからなんだけども
前半部分での「体感覚」の話を聞いていて、
この「わたしなんだけど、“わたし”じゃないもう一人の存在」は、体感覚に向いた時の通過点にいる存在に思えた。
この存在に気付いて、その奥でいつもわたしを受け入れてくれている“本当のわたし”まで辿り着いている時
これで合ってる?
という疑問がわかなくなる。
苦しい迷走ループじゃなくて、
苦しくない満たされた創造ループにのっている時。は、ここまで辿り着いている時なんじゃないか…?って感じた。
半部分を聞いたら、さっそく意識してやってみようと思う♡
私は言葉が好き。
言葉を綴るのが好き。見るのも好き。
だけど、「言葉」に気持ちを集約せずに、
「気持ちをしっかり感じ取ったもの。」が、言葉や物質になって、たくさん私の世界に創造されていくのが好みだ♡
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ノートやリーディング
女の身体や宇宙法則を使って
満たされた願いの叶え方を思い出す。
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