こんにちは。
昨日、家族で海に行ってきました
私は、砂浜で娘と砂遊びしたり、浜からみんなを見たり…
息子の「今日は、朝も昼も夜も楽しかったね〜」が、とっても嬉しかったです
なおです
(海、良かったなぁ〜)

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海に行くのを決めたのは前日で、昨日の朝に予定も入れてたから、それも済ませてから、パタパタと海に向かった。
実は体調もあまり良くなくて、車の中でボーッとしながら、
「やっぱり今日は厳しかったかなぁ…だけど、夫も中々休めないし、今日じゃないと行けなかったしなぁ…」
なんて考えたりもした。
ちょっと頑張っちゃった感はあった。



だけど、
海風に当たりながら、夫や子供達が楽しそうにしてるのを見て、

念願の海に来れた息子が、海に抵抗なく入れて楽しそうで、去年より成長を感じたし、
娘も最初は怖かったのに、だんだん慣れて、パパに支えてもらいながら浮き輪でプカプカして「オカーサーン!タノシー!」ってニコニコする姿にほっこりしたし、
最近仕事で忙しい夫が両手に子供達を連れて海の中を行ったり来たりしている姿を見て、今日海に来て良かったなーって思ったし、

みんながニコニコ楽しそうにしている姿が、
私はとっても嬉しかった
とってもとっても幸せな気持ちになった



そんな幸せな気持ちを感じていたら、
これまで私がわざわざ「不自由」を選んでいた理由が、わかったような気がした。



私が自分から選んで、
押しつけられて、
私の意見は言わなくて、
束縛されて、
自由にしてなかった  「だけ」

なのかもしれない。

 

だから、そもそも私は「自由」だったのかもしれない。

そもそも「自由」だったのに、私が勝手に「不自由」を選んでいただけなのかもしれない。


って書いた。


「自由」で良かったのに、お父さんの意見を聞いて、自分で「不自由」を選んできた私


お父さんの意見に沿って、
お父さんのために不自由を感じて、
お父さんの人生を生きてきたように感じていた。



だけど、私が不自由を選んでいたのは、

お父さんやお母さんが嬉しかったり喜んだりする姿を見ることが、私の幸せだったからかもしれない…
自分が不自由になってまで、お父さんやお母さんの笑顔が見たかったのかもしれない

お父さんの意見に沿って行動して、
お父さんの思うような結果を私が出せると、
お父さんは、喜んでいたから
お父さんの、笑顔が見れたから

それに、
お父さんが笑顔になると、
私も嬉しくて
お母さんも一緒に喜んでくれたから

だから私は、不自由を感じながらも、お父さんの意見を聞いていたのかもしれない…
束縛されていたのかもしれない…

そう考えると、
私は、お父さんのために不自由だったんじゃなくて、
お父さんの人生を生きてきたんじゃなくて、

私は、私の幸せのために不自由を選んでいたのかもしれない…
ずっと私のための人生を生きていたのかもしれない…
実はずっと幸せだったのかもしれない…

と思えて、



あー。
私はずっと、私の幸せのために生きていたんだなぁ



そんな気持ちが込み上げてきて、
今までの私の生き方を全て肯定できたような気がして、
嬉しくて、涙が出た



だけど、
別に、私が不自由にならなくても、周りを笑顔にすることはできるよね
私が自由に楽しんでも、周りを笑顔にできて、より幸せを感じることができるよね



だから、私は、
自由に楽しんで、
私も周りも笑顔になるように、
私も周りも幸せになるように、
過ごしていきたいなぁ〜と、
海の風に吹かれながら感じた、ひとときでした



最後まで読んでいただいて、ありがとうございました

おわりつながるうさぎ