昨日の続きになります。
貝塚寺内町見学のあとで、
貝塚寺内町の埋め立て地に出来た港を
見物してから、泉大津の助松にある助松
本陣田中家を見物に行きました。
埋め立て地にいた青サギです。
埋め立てで出来た貝塚の港です。
港を見物のあと、助松へ移動しました。
助松本陣田中家です。
上図③から見た長屋門です。
内部は一般公開されていません。
長屋門前にある解説板です。
②から撮影した田中家で、手前の道は
旧紀州街道です。
表門です。
田中家は清和源氏の系統で、新田氏と
同族関係にあると伝えられ、室町末期
の元亀年間(1570~73年)に、田中
遠江守重景が助松村に移住したのが
始まりと言われます。江戸時代には
大庄屋を勤め、徳川頼宣公が紀州に
封じられてからは、紀伊徳川家の指定
小休所として本陣を承っていました。
徳川家も新田氏の系統で分家の得川
氏の、得川の得を徳に変えた家です
ので、同族関係と言えます。
貝塚寺内町の上方口にあった御食家
も休憩所でしたが、田中家は助松の
大庄屋も務めていたので、屋敷が巨
大です。武士ではないのですが戦国
時代というのは、それまでの支配階
級が没落して、新しく百姓・商人・海
族・山賊などの人々が武士となり支
配階級となった、ガラガラポンの時
代でした。
下図④付近からの撮影です。
田中家屋敷は旧紀州街道沿いに
あって、敷地が1町(約110m)四方
の大きさで、江戸時代の豪農でした。
玄関が2か所見えます。左側がお客用の玄関
です。
何度か改造されていますが、全体的に江戸
時代前期の規模や形式をよく残しています。
庭は、大和小泉藩家老職で、石州流茶人の
藤林宗源の作で、片桐且元遺愛の石灯ろう
もそのとき宗源より贈られたものです。
上図①から見た田中家の長い土塀です。
ここも①の付近です。
上図⑤付近から見た、現在の田中家表門
です。
今回はここまでです。
明日は蓮の写真です。
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