河内国府跡の紹介2 国府遺跡 | みどりの木のブログ

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3日おきに更新しています。

昨日の続きです。

今日は天候も良かったので、四条畷神社と飯盛山城址に

行ってきました。後日その内容をUPします。

2017-3-11日撮影の月です。ほぼ満月です。

海の部分がウサギの様に見えます。

 

今日は国府遺跡の紹介です。

 

②のここより東に進むと、国府遺跡があります。

 

グーグルより引用の地図です。

 

③の位置は

国府遺跡の入口③です。

中に入ると

梅が咲いていたので撮影しました。

 

正面に二上山が見えます。

さらに④まで歩くと

④の位置から撮影しました。ここに国府遺跡の説明版があります。

写真の右側には

記念石碑があり、その前に穴の開いた礎石があります。

下の礎石は重要文化財です。石碑は昔、ある鉄道会社

がこの辺りに出来て1年で潰れました。それを知った篤志

家が従業員を救済したので、そのお礼に従業員が建て

たそうです。

 

衣縫廃寺の礎石 : 国府遺跡の区域内で、飛鳥時代に

創建されたと考えられる寺院跡が見つかっています。今

は廃寺で寺社名も伝わ っていないことから、便宜上近辺

の字名をとって「衣縫廃寺」と呼ばれています。飛鳥寺式

(花組)・船橋廃寺式・豊浦寺式(高句麗系)・紀寺式・西琳

寺式などの軒丸瓦が出土しています。高句麗系瓦は、南

河内の船橋廃寺・土師寺出土と同笵とされています。また

飛鳥寺式は、飛鳥寺創建時のものと同笵のうえ、平瓦や

丸瓦までも同一のものが使用されている事から、衣縫廃

寺は飛鳥寺創建とほぼ同時期に建立されたのではないか

と考えられています。 創建に関しての詳細は不明で、僧・

慧灌(エガン)による推古33年(625)建立の井上寺である

という説、地名から衣縫造(キヌヌイノミヤツコ)の氏寺とする説、

志紀郡にあることから志紀県主(シキアガタヌシ)の氏寺とする

説などがあります。

 
国府(こう)遺跡について

この惣社地区には、旧石器時代から各時代にわたる各種の

遺物が、発掘されているところがあります。
国府(こう)遺跡という。旧石器時代のナイフ形石器や、縄文

・弥生時代の人骨が90体以上出土し、考古学史上きわめて

重要な遺跡です。

 

現地説明板です。

 

国府(こう)遺跡の22年前航空写真です。

上の①から矢印方向を見た写真が下の写真です。

 

 

河内遺跡の発掘地の地図です。

 

発掘された遺物は

縄文式土器と状(けつじょう)耳飾りです。

 

前期弥生式土器です。

 

出土した縄文人骨と副葬品です。

 

想像住居図です。                  

            (以上現地の説明板から引用)

 

河内国府址の遺跡発掘のつもりが、

残念ながら、河内国府に関する遺物が発見されていません。

 

グーグルより引用の写真です。

この写真⑤から南方向は

⑤から南方向の写真です。

 

石器時代の遺物が発掘された場所です。

 

国府遺跡の石碑です。

 

⑤から③へもどる途中で、北側にお城のような建物があります。

特別養護老人ホームひかりの建物です。天守閣ような感じがします。

 

縄文人の生活再現動画をお借りしました。(8分38秒)

今日はここまでです。明日は野中寺の紹介です。

 

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