インド旅行記その7 霊鷲山 | みどりの木のブログ

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今回はラージギルにある霊鷲山の紹介です。ここで釈尊は大乗仏教に関する
お経を説法されたといいます。


釈尊が好まれた場所という霊鷲山の香室


反対側の風景で、釈尊はここに人々を集めて説法したといいます。
監視人のおっちゃんが棒を持ってます。ここは裸足です
\(*`∧´)/


無量寿(阿弥陀)経の序文には、王舎城の耆闍崛山(霊鷲山(りょうじゅせん)
において、優れた比丘や菩薩たちに対して釈尊が説法されたとある。ある国王
が世自在王仏のもとで出家し、法蔵菩薩と名乗り修行をして、その願が成就し、
無量寿仏(阿弥陀仏)と成り、その仏国土の名が「極楽」であると説かれる。
 願が成就してから十劫が経っていて、阿弥陀仏の徳とその国土である「極楽」
の様子が説かれる。また、この世では苦しみから逃れられない事を説き、
「極楽」に往生する事が苦しみから逃れる方法であると説かれる。 それは、
ただ無量寿仏の名を聞いて、たった一度でも名を称えれば(念仏すれば)、
功徳を身に供える事ができると説いた。この教えを聞いたものは、後戻りする
事は無い(必ず往生できる)と説かれる。時が流れ一切の法が滅しても、
この経『無量寿経』だけは留めおいて人々を救いつづけると説かれた。
 このお経により日本では末法思想を乗り越える、浄土教の教えが広まり
ます。親鸞は悪人でも南無阿弥陀仏と唱えれば、極楽往生できると言った
そうです。しかし、この悪人とは現在の悪人と意味が違っています。仏教の
戒律(肉を食べない・Hな事をしない・お酒を飲まないなど)を守れない人のこと
です。仏教の戒律以前の問題として、殺人や盗みをする人は相当な謝罪が
無いと極楽浄土には行けません。また、玄奘三蔵法師の
仏説阿弥陀経の
中国語訳の場合、たくさん善行を重ねて念仏しないと、極楽には行けない
となっています。とにかく、浄土宗や浄土真宗ではこの地が聖地なのです。

法華経のなかにあるたとえ話を、前回の竹林精舎や耆闍崛山(霊鷲山(りょうじゅせん))
において釈尊が説法したそうです。たとえ話の法華七喩(ほっけしちゆ)とは、法華経で
説かれる7つのたとえ話のことで、これで分かり易く一般民衆を教化しました。そのたとえ
話とは、三車火宅(さんしゃかたく)や長者窮子(ちょうじゃぐうじ)などです。
なので、法華経が第一な日蓮宗はこの地が聖地なのです。

グーグルの下地図で、前回は竹林精舎でしたが、今回は地図の右下
にある、ビンビサーラ道と霊鷲山の紹介です。


釈尊が霊鷲山の香室に居ることが多いので、ビンビサーラ王は
釈尊のために石で舗装した道を造りました。
その道の入り口が下の写真です。


ビンビサーラ道の入口です。


現在はこういう道です(ビンビサーラ王の道はこの舗装の下にあります)


途中、雨季なので水があふれていました。


道の横を流れる小川です。


途中休憩所のあるところ


途中、牛糞がちらほら落ちています


橋もありました。



小川に架かる橋


途中の脇に洞窟があります。弟子の僧房だったそうです。


こんな感じです


弟子のアーナンダ尊者の洞窟


弟子のシャーリプトラ尊者の洞窟
どちらも金箔が貼られています。さらに進むと


ここも洞窟でしょうか


なだらかな場所に出ます。ここもにも僧房があったようです。


鷲の形の岩(山のいわれか?)の横を通り頂上に出ます。


線香をあげて、「幸せになれますように」とお祈りしました。
線香の形が日本と違い、線香花火のような木の棒が付いて
いました。(写真右下)


右下に休憩所があったところの、ビンビサーラ道が見えています。


香室のある頂上に、昔使っていたという旧道の階段があります。


香室の煉瓦ですが、下側の黒っぽい煉瓦は古い時の物です。
帰り道でサルの親子に会いました。


地球の歩き方に、ここでは山賊が出ると書いてありましたが、
ガイドさんはそんなことは無いと言います。このサルが山賊
かも知れませんね?

このマガタ国の王舎城の城壁が残っています。


車道で分断されています


左端の小さい小屋はヒンズー教の祠です。
長い間に土砂で埋もれたのか、低くなっています。

この道を行くと


ブッダガヤに行きます。
途中の景色を写真に撮りました。


インドの村の様子


水田の様子


子供たちが魚取りをしている様子

夕方の少し前にブッタガヤに着きました。釈尊が悟りを開く前に
5人の仲間と6年間苦行の修行をしていた洞窟に行きませんかと、
ブッダガヤのガイドさんに言われて行くことにしました。
綺麗な夕日が見えたので、修行中の釈尊もこんな夕日を見てい
たんだなあ・・・と感動しました。
ここは明日UPします。