前回の写真からスタートします。

左側の今は廃墟となった三陽荘さんの紹介からです。
2枚下のマップ⑧の所です。
昭和29年(1954年)の60年前の長野温泉マップです。
河内長野市教育委員会の資料をお借りしました。
錦水楼からスタートして黄色い道順で歩きました。
三陽荘さんの所(最初の写真階段の上に写って
います)に新しいマップがありましたので、下に貼
ってそれで解説します。

何年に制作されたか分からないのですが、南翠荘があるので、
今から10年以上前のものと思います。このマップは南北が逆
です。

三陽荘さんです。居酒屋も経営していたようです。
左側の階段を登っていくと

こんな感じで上の方に建物が続いています。写真中央は
下が通り抜け出来ます。

三陽荘と書いた立て看板が放置されていました。
さらに階段を登ると

これが一番上側です。マップ⑩のあたりからの撮影です。
このような形で廃墟として放置されているのは悲しいですね。
⑧に戻りそこから黄金橋に行きました。
あおやぎ・こんべ・一力の建屋は無くなり、そこには民家が
立ち並んでいました。

マップ⑪からの撮影です。御覧のように民家が
立ち並んでいます。長野新地だった所が住宅地
になっていました。
さらに行くと

マップ⑫から撮影した黄金橋です。橋の右にはおばな旅館さんの
ビル建屋が見えています。
橋の途中で南側の落合橋方向を見ると

階段上がった角にはチェーンでロックされた居酒屋があります。
⑭の所には長野新地入り口の看板があります。

八重別館さんの立て看板があります。昔はこの看板に
長野新地の、すべての宿の名前が掲示されていました。
立て看板の左側では「おばな旅館」さんが営業されてい
ます。

おばな旅館さんです。右側には喫茶店も経営されています。
マップ⑭から②へ歩きました。

昭和29年にあった旅館の多喜乃家・翠月・楠館は無くなっていました。
代わりに予備校などの専門学校やマンションになっています。

南海電鉄河内長野駅です。さらに歩くと
前回紹介した②の地点に戻ります。

②の地点です。南翠閣はマンションになり、河鹿荘は民家になっています。
左側山の上は長野公園です。
観光地・歓楽地であった長野新地が都市化により、ベッドタウンへと変貌し、
さらに、交通網が整備され自動車で遠くに行く時代になったので、由緒のある
温泉地なのに、寂れてしまったのは残念です。
次回はもろこし長者の紹介で出てきた、三日市宿の
代官所もあった月輪寺周辺の紹介をします。







