24歳の母と私
昭和43年10月
奈良県生駒市生まれ
写真の裏に
父の字で
私の名前と年齢が書いてある
奈良県生駒市の小学校に通った
その後
奈良の家が立ち退きになり
母の実家のある京都へ
引っ越した
これからおこる苦労の数々
まだ何も知らない
子供のわたし
まだ
けがれない心
純粋なこども
綺麗な瞳をしてた
兄とは年齢が五つ離れてる
兄と私は顔が似ていない
父親は同じだが母親が違う
妹と私は同じ母親
このことでも
揉め事は多々あった
母は苦労の連続の結婚生活を送った
まだすこし
兄と
一緒に写った写真は
なんとも言えないきもちだ。
✨
急に自分が生まれたときの
氏神さまが
とても気になって調べた
七五三参りの写真をよく見ると
高山八幡宮と。
ずっと離れても
御守りいただいてたと思った
御礼をお伝えした
ずっと幼い頃の写真は
じっくり見るのが辛かった
でも、いまは
静かな心で
若い父と
母の姿を見ることができる
父は
自分の感情が
いつもストレートで強すぎて
まわりの人に理解されないことが多かった
でも
父親として
自分の子供は愛していたと思う
私は
この家庭に生まれて
とても苦労はした
でも
この両親に
子供としては
とても愛されていたと思う
✨
みんなに愛されて
可愛がってもらい育った
と母から聞いてる
近所の優しいおじちゃんおばちゃんの
仕事場に行っては おやつもらったり
そこで遊んでた。
子供のいないご夫婦の家に
泊まりに行って
本当の子供みたいに可愛がられた。
祖父(父方)は
何処へでも私を連れて行ってくれた。
叔父夫婦(父の弟夫婦)は まだその頃
子供がいなくて
そこにも、よく遊びに行ってた。
母から
どこに行っても
目のぱっちりした可愛い子だと
みんなに可愛がられたと聞いた
そんな言葉を思いだしながら
いまは
生まれてきてよかったと
心から思う
✨
そして、
大人になって
同じ傷をもっていた
あの人に出会ったとき
私のずっとひとりで
抱えていた幼い頃からの
こころの傷を
この人なら
理解してくれるとおもった
一緒に癒しあい
愛することで
しあわせになりたいと願った
でも
結婚していた私には
なにひとつ自分の気持ちを
伝えることはできなかった
そしてその人は
あっという間に突然結婚してしまい
気がついたときには
目の前からいなくなってた
もう私は
この世界にひとりぼっちになったんだ
とおもった
とてもさみしく
とても、かなしかった
とても孤独になった
一生分泣いた
なぜ
どうして その人だとおもったのかは
わからない
でも ずっとずっとさがしてた人だと
いうことだけは確かだった。
その人と出会って12年過ぎても
いまもまだ
その願いは
この胸にしまったままです。










